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まとめ記事
御朱印放浪記(埼玉県)
ぎるでぃさん
2017/10/14
1,148
埼玉県での御朱印放浪記を(自分用のメモ状態ですが)
2017年9月16日「慈光寺」「正法寺」
9月24日「安楽寺」「氷川神社」「氷川女体神社」「調神社」「慈恩寺」
2018年9月1日「三峯神社」「秩父今宮神社」「秩父神社」「椋神社」「聖神社」「宝登山神社」
2019年2月10日「出雲大社朝霞教会」
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星谷寺の次には慈光寺(じこうじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 伝承によれば、天武天皇2年(673年)、興福寺の僧慈訓が千手観音を安置し、その後宝亀元年(770年)道忠が開山となって創建されたという。平安時代の貞観年間(859年 - 877年)には勅願所となり、天台宗の別院となりその中心的な寺院となった。その後、源頼朝をはじめ徳川将軍家などの帰依を得た。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所第9番札所となっています さてそれなりの山道を車で上って駐車場に止めてふと案内図を眺めますと ・・・先生・・ワタシよくわかんないです・・・ よく解んないけれどもとりあえずふらふらと・・ あ・・あっている気配^^; 最初にこの阿弥陀堂(本堂)にたどり着きましたけれども ・・・記帳はこちらでしていただけるようですがまずは観音堂でお参りをしないと・・ か・・階段・・(関東圏内(群馬の南側)だからと思って油断を・・) とりあえず観音堂でお参りをしまして 先ほどの本堂に戻って記帳していただきました 何故かここで出羽三山の石碑が・・出典:ぎるでぃさん
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慈光寺の次には正法寺(しょうぼうじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 寺伝によれば養老2年(718年)に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した[1]。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康より寺領二十五石の朱印地を与えられる。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所の十番札所です だいぶ暗くなってきましたけれども こちらの仁王門から境内へ こちらの観音堂でお参りをして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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安楽寺(あんらくじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ この寺は、奈良時代の僧行基が聖観音像を安置したのに始まるとされ、平安時代初期の武将坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられる[1]。本尊の吉見観音は毎年6月18日に厄除観音会が催され、御開扉される。その後、源頼朝の弟源範頼が三重塔などを建てたとされるが、兵火により焼失したという。もとは息障院が本坊でありこの寺の近くにあったが、その後息障院はこの寺の南東へ約1kmのところへ移った。江戸時代前期、杲鏡によって再興された。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所11番札所です さてこちらから 仁王門をくぐりまして境内へと こちらの本堂でお参りをしまして 記帳していただきました こちらには立派な三重塔も♪出典:ぎるでぃさん
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安楽寺の次に氷川神社(ひかわじんじゃ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 神社の境内は見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)の畔に立ち、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。現在の神池は、見沼の名残である。埼玉県・東京都の荒川流域、特に旧武蔵国足立郡を中心にして氷川信仰に基づく氷川神社が多数分布する。 大宮の氷川神社・中川の中氷川神社(現 中山神社)・三室の氷川女体神社は一直線に並んでいる。なお、この三氷川とかつて大宮の氷川神社境内にあった三社(男体社・女体社・簸王子社)がよく混同されるが別のものである。[1] さいたま市の「大宮」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来する。埼玉県周辺の広域から参拝者を集め、正月三が日の初詣の参拝者数(警察調べ)は全国10位以内に数えられる。特に全国的に初詣客が増加した2008年(平成20年)以降は連年200万人以上が訪れている。 ・・・ となっていまして・・ 武蔵の国の一ノ宮となっています さて・・ こちらの街を貫いています参道を歩いてみたかったけれども・・ 駐車場で駐車は三十分までにしてくださ ...出典:ぎるでぃさん
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氷川神社の次には氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ、旧字体:氷川女體神社)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。 『大日本地名辞書』では『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国足立郡 多氣比賣神社」の論社としているが、多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力である。 江戸時代には、幕府より社領50石が寄進された。 近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである(後述)。現在は、氷川神社とともに「全国一の宮会」に加盟している。 ・・・ となっていまして・・ こちらも武蔵の国の一ノ宮となっています さてこちらから境内へと入りまして こちらの拝殿で参拝をしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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氷川女体神社の次に調神社(つきじんじゃ)へと行ってきまして こちらはうぃきによりますと 別称は「調宮(つきのみや)」。社名の「ツキ」により月待信仰が古くからあり、狛犬ではなく狛ウサギがある神社として知られる。 となっていまして・・ 狛犬でなくてウサギのお迎えで こちらから境内へと 手水舎もウサギ♪ こちらの拝殿で参拝をしまして 記帳していただきました お池にもウサギがいたのですね出典:ぎるでぃさん
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調神社の次に慈恩寺(じおんじ)へと行ってみました こちらは例によってうぃきによりますと ・・・ この寺は、天長年間(824年 - 834年)円仁の開山によって創建されたと伝えられる。1590年(天正18年)関東に入部した徳川家康から翌1591年(天正19年)に寺領を寄進されている。江戸時代に入ると江戸幕府のほか岩槻城主からも帰依を得た。日中戦争時の1942年(昭和17年)12月に日本軍が南京で発見した玄奘の遺骨の一部が戦後この寺に奉安されることとなり、1953年(昭和28年)5月に十三重の花崗岩の石組みによる霊骨塔・「玄奘塔」が落慶。 1955年(昭和30年)に日台友好のため、台湾に分骨され、現在は日月潭の玄奘寺に奉安されている。1981年(昭和56年)には、玄奘の属する法相宗の薬師寺にも分骨されており、現在は境内の玄奘三蔵院に奉安されている。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所第12番札所です さてこちらから境内へ こちらの本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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9月1日 何ともなしに某ゲームのイベントが始まると ワタシ引きこもっちゃうのでその前に ブログ書くネタもないですし困ってしまう前の神頼みもしとこうかなと 三峯神社(みつみねじんじゃ) へと行ってみますことに 今回は前回たどり着けなかったことを踏まえて 早めの出発を試みてみることに ・・・まぁ・・その前回の時の大渋滞がきっかけで 1日限定配布の『白』い『氣守』が中止になっちゃったから多分酷いことにはならないと思いつつ ・・・若干のトラウマが ま・・実際渋滞もなく すんなり5時ごろに到着しちゃったりもしましたが (つまりあの大渋滞のほとんど全部『白』い『氣守』目的ということですか。。) さていつもの様にうぃきによりますと ・・・ 三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。狼を守護神とし[1]、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。 ・・・ となっていまして・・ さっそく特徴的な三ツ鳥居から境内へ 随身門 ...出典:ぎるでぃさん
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9月1日 三峯神社の次に 秩父今宮神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 秩父今宮神社(ちちぶいまみやじんじゃ)は、埼玉県秩父市の中心部にある神社である。今宮神社、八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)とも称される。旧社格は村社。 ・・・ となっていまして・・ こちらから境内へ が・・・しかし・・・早速参拝をしましょうかなと辺りをうろうろと・・ 新築工事中・・ ですので こちらの仮殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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9月1日 秩父今宮神社の次に 秩父神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、埼玉県秩父市にある神社。式内社、武蔵国四宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。 秩父地方の総鎮守である。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。12月の例祭「秩父夜祭」で知られる。 秩父夜祭(秩父祭の屋台行事と神楽)は2016年12月1日、「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)のひとつとしてユネスコ無形文化遺産への登録が正式に決定した。 ・・・ となっていまして・・ こちらから境内へ 手水舎 神門からとぼとぼと こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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9月1日 秩父神社の次に 椋神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 椋神社(むくじんじゃ)は延喜式神名帳に掲載された武蔵国秩父郡の式内社である。同名社が秩父郡市内に5社を数え、明治政府はいずれの神社にも式内社と称することを許したという。 旧社格は県社。元は井椋(いくら)五所大明神と号しており「いくらじんじゃ」が本来の呼称である。近世になり地元以外から「むくじんじゃ」と読まれることが多くなり現在の呼称になったという。例祭の際に龍勢を打ち上げる龍勢祭りは有名である。 ・・・ となっています さてこちらから・・ 境内へ さて これが ろけ・・ 龍勢というのですね(結構大きい・・ さてこちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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9月1日 椋神社の次に 聖神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 聖神社(ひじりじんじゃ)は、埼玉県秩父市黒谷に鎮座する神社である。 秩父盆地の中央部やや北寄りに聳える簑山から南西にかけて延びた支脈である和銅山山麓に鎮座し、簑山を水源とする川が流下する社前は和銅沢(旧称銅洗沢)と称されている。 慶雲5年(708年)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社とされる。旧村社。 金山彦命、国常立尊、大日孁貴尊(天照大神)、神日本磐余彦命(神武天皇)の4柱に元明金命(げんめいかがねのみこと。元明天皇)を合祀する。 なお、境内石碑には『…当社はこの歴史的由緒ある「自然銅を主神」として祀り、更に金山彦命、元明金命を合祀し…』たとある。 和同開珎ゆかりの神社ということから「銭神様」とも呼ばれ、金運隆昌の利益にあやかろうという参拝者も多い。 ・・・ ということになっていまして こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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9月1日 聖神社の次に 宝登山神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 寶登山神社、宝登山神社(ほどさんじんじゃ)は、埼玉県秩父郡長瀞町の宝登山山麓にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 秩父神社・三峯神社とともに秩父三社の一社。宝登山山頂には奥宮が鎮座する。 ・・・ となっていまして・・ こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました 今回はここまでで帰宅しちゃいまいた出典:ぎるでぃさん
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2月10日 ビート君の慣らしを兼ねて下道をのんびりと 出雲大社朝霞教会へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 出雲大社朝霞教会(いずもおおやしろ/たいしゃ あさかきょうかい)は埼玉県朝霞市本町にある神社、出雲大社教の教会である。通称は「朝霞(埼玉県)の出雲大社」。2019年(平成31年)に出雲大社埼玉分院(いずもおおやしろ/たいしゃ さいたまぶんいん)へ昇格予定。 ・・・ となっていまして・・ うろうろ・・ ( ゚д゚)ハッ!いゃ・・まさか・・ む?こっちかな え・・っと 早速こちらから 。。。。プレハブ!?? どうやら建て替え工事中らしい ですので こちらの仮殿で参拝をしまして 御朱印は… 書置きでしたけれども無事頂けました出典:ぎるでぃさん
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