法華寺(奈良市)
日本総国分尼寺として創められた法華滅罪之寺・法華寺
2014年11月02日
法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として創められた法華滅罪之寺で、女人道場「法華寺御所」ともいいます。
平城宮の東北に位置し、平城京左京一条、いま奈良市法華寺町の一廓に築地をめぐらして南大門を開いています。
天平17(745)年5月、藤原不比等の邸宅跡を、光明皇后が先帝のため改めて伽藍としたもので、皇后宮を宮寺としたのがはじまりです。従って草創以来朝野の尊崇を集め、天平勝宝元年には詔して墾田一千町歩を施入せられ、大同年中には駿河、美濃、上野、武蔵、越後、伯耆、出雲その他に寺封五百五十戸を持つなど、天平の大伽藍にふさわしく堂宇もまた金堂、講堂、東西両塔、阿弥陀浄土院と荘厳のかぎりを尽くしていました。
しかしながら時勢とともに寺運ようやく哀え、中世の記録は定かではありませんが、叡尊興正菩薩の再興、さらには豊臣秀頼公の外護、徳川氏の寺領二百二十石寄進などがあったとはいえ、旧来の寺観を失って今日に及びました。
貞明皇后が、大正12(1923)年に本尊御宝前に菊御紋章入り御燈籠一対が御献納され、大正15(1926)年5月には祈願仏を当寺へ遷座し、以来門主は日夜、御祈願しています
境内史跡指定建築物は南大門と本堂、鐘楼の三棟で、いずれも桃山時代に再建された重要文化財です。
本堂は慶長6(1601)年、豊臣秀頼が淀殿と共に片桐且元を奉行として 再建した四注造・本瓦葺・桁行七間梁間4間で、勾欄の擬宝珠や本尊須弥壇の銘文により、当初は講堂であったことが判明しています。向拝の蟇股・手挾の豪華な絵様彫刻に、桃山建築の精粋をうかがうことができます。
先年本堂の解体修理が行われた際、天平創建当時の礎石や古い柱根が発掘されています。この古い礎石は、鐘楼の地下からも発見されています。
鐘楼の東北、別の廓内にある「から風呂」は、本願光明皇后が千人の垢を流したという由縁を伝えており、現在の遺構は慶長年間に修理されたものです。
なお南の築地外にあった横笛堂は、現在境内に移されています。滝口入道との恋に破れてこの寺に入り、髪をおろして仏道修行に明け暮れた雑司横笛が住んだ古跡と伝えられています。
本堂の北に続く本坊書院は京都御所の庭を移築したと伝えられる庭園で、史跡名勝になっています。
(パンフレットなどより)
拝観時間 9:00~17:00
拝観料
大人700円 小中学生350円
※3〜6月特別公開
大人800円 小中学生400円
※4月・6月、秋の特別公開は 大人1,000円 小中学生500円)
華楽園 大人300円 中学生200円 小学生100円
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.10.26
住所: 奈良県奈良市法華寺町882
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