福寿会館(福山市)
福山城の二之丸北側五千石蔵跡に造られた福寿会館
2022年09月12日
福寿会館のあるこの場所は福山城の二之丸北側に位置し、江戸時代に福山藩の米蔵が軒を連ねていました。
五千石蔵は幕府から預かった備蓄米を収めていた蔵で、享保17(1732)年に対馬で起きた火事の救済や、享保18(1733)年に長州で起きた飢饉の救済の際に福山城の備蓄米が拠出されています。寬延3年(1750年)には蔵の大半が取り壊され、明治年間には周囲の土地が民間に売却されました。
福寿会館は、五千石蔵の跡地に、海産物商で財を成した安部和助が昭和初期(本館は昭和10(1935)年から昭和12(1937)年頃まで)に別荘として建造したものです。
昭和28(1953)年に、当時の所有者であった渋谷昇から福山市へ寄贈されました。敷地面積は7,395平方メートルで、本館・西茶室・南茶室・西蔵・東蔵・洋館があり、、すべて国の登録有形文化財となっています。
本館は廊下や天井にいたるまで、今日では入手不能な材料を多用した数寄屋建築であり、現在において極めて大きな価値をもつ建物です。
西茶室は、本館西側に渡り廊下を介して建てられており、本館との調和がはかられた、瀟洒な造りの数奇屋風建築で、昭和15(1940)年、数寄屋造りの巨匠として名を馳せた笛吹嘉一郎氏の建築によるものです。
南茶室は、「望城亭」と呼ばれ、表千家お家元より頂戴した名といわれおり昭和17(1942)年西茶室と同じく笛吹嘉一郎氏が造った建物です。
洋館は、瓦葺き急勾配の切妻屋根で、外壁はモルタル造りとなっており、ヴェネチアルネッサンス風擬似窓装飾や柱の装飾などが特徴的で、昭和初期の洋式建築の様相を示しています。現在、1階は庭園を眺めながらくつろげる喫茶室・2階は落ち着いた雰囲気で行う貸会議室等として利用されています。
庭は回遊林池式庭園で、京都の作庭家西村氏の指導により、完成までに10年の歳月を費やしたといわれています。
建物は市民を対象とした貸室として利用されていますが、庭園は自由に見学できます。
開館時間 9:00~17:00
休館日 月曜(祝日の場合翌日)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.9.3
住所: 広島県福山市丸之内一丁目8番9号
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