2024年05月03日
Posted at 2024/05/03 19:23:44 | |
トラックバック(0) |
車一般 | 日記
2024年05月02日
JR北。赤字はいくら増えるのかな?
ここがイギリスのパブなら、いくら赤字が増えるかに賭けをすることだろうよ。
やっぱり経営陣が、利用者のマインドを掴んでいないとねえ。
鉄道だから何をしても使ってもらえるなんて甘えているよね。
北の大地は全線廃線で。
列車の運転手は大型Ⅱ種を取ったほうがいいよ。
Posted at 2024/05/02 00:19:03 | |
トラックバック(0) |
Fe 鉄分 | 日記
2024年05月02日
JR西、JR北。
JR東の京葉線問題。
JRも私鉄も、増収増益だとか。
運賃も値上げるしねえ、コロナから回復、インバウンドも立派に。
なんてこった。運賃値上げなんて必要なかったろ!
いかさま鉄道会社。
JRは来年値上げですが。いやいや、指定席強要で、既に大幅値上げですな。
どうやったら交通関係で二酸化炭素排出量減らせるのかな?
お国もちっとは、指導したら?
ダイヤには口出しできんけど、運賃その他は認可制だからねえ。
当然に、お国の責任もあるわけよ。
Posted at 2024/05/02 00:10:42 | |
トラックバック(0) |
Fe 鉄分 | 日記
2024年05月02日
やからしました。
潰れるしかないね。
えきねっと、これは綿密に旅行計画を立てた、時間に余裕のある人間にのみ有利なシステムであって、当日の時間の都合で自由に載る列車を選びたい立場の人間には、至極不都合なのである。自由席の時間的自由性という利点を考えていない、昨今のJR各社の全車指定席扱いには、大いに反対する。実際、特急の利用を控えている。それは関西に住むがゆえに、北陸新幹線への抗議も含まれている。
Posted at 2024/05/02 00:04:19 | |
トラックバック(0) |
Fe 鉄分 | 日記
2024年04月30日
おはようございます。
日頃から生徒児童の育成にご尽力いただきありがとうございます。
4月26日の郊外学習からの学びを一つご紹介します。
大学受験の改悪による高校の中学化という中等教育の意義の減退についてが主題です。
我が娘の所属する「5人組」という前近代的な連座制のため、ひとり大阪駅から梅田駅への乗り換えが不案内な学生の存在で阪急嵐山駅の到着が1本の電車分遅れたとのことです。
日頃から外出の機会があるものは公共交通機関を使って目的地まで到達するということに長けているでしょうし、そうでないものは初見で迷いながら行くとこでしょう。ひとに尋ねたり、掲示物を見ながら、地図を頼りにしながら・・・。そこは経験を積むしかないでしょう。
さて、ここからは本題ですが、「連帯責任」の名のもとに教育を進めたのですが、これが生徒たちにある行動を引き起す原因となったんでしょう。
いや、大きな原因は「課題を課して評価をする」とし学校の方針が最大の原因です。
連座制のため、一人の生徒の遅刻が「クラス全員の評価を下げる」という結果に至ったようです。そのためか、学習の終わりの時間でのクラス集合写真に、遅刻した5人組はその記念撮影に呼んでもらえなかったということです。写真をクラスで共有しているようですが、共有しているのに5人だけ外した写真を載せる無神経。いや、そもそも遅刻したひとりを責め立てるような仕打ち。
「連帯責任」とはそういうことではないです。「連帯責任」の意義をどうお考えでしょうか?
一人の落後者も出さない協調性こそが連帯責任です。「足を引っ張られたので、仕返しをしよう」
いまどきの自己中、そして間違いを犯したものへの熾烈な対応が見て取れます。
これでは「社会性」を育成するはずだった学校の目論見から外れてしまいました。
さて「校外学習の評価」なのですが、僕は幾度も申しておりますが、
仕事も学校も同じで、労務提供は労働時間だけでよいですし、学校から課される課題は、学校にいる間だけで消化できるものでよいと考え、一発勝負でよい大学受験のため、一切課題は提出しませんでした。そのため高校の成績表は10段階で1ばかりです。しかし、それは「学校の評価」に過ぎません。実力とは別物です。しかし、中学は違いました。「内申点」という奴隷化評価があったのです。「よいこ」でいないと高校受験に多大な影響が出るのです。
さて、登美丘は残念ながら中堅の学力のため、愚かな私立大学のために「推薦入学」など「姑息な手段」を当然のように使います。
これが実力のない生徒(もしくは早々に進学を決めて残りの半年を遊んでやろうと考えている生徒)や、これをネタに生徒を管理しやすくなる高校側の、三者にメリットのあるシステムです。
これには多大なデメリットがります。デメリットしかありません。メリットと考えられているものは、生徒は「楽してやろう」、学校も「楽して生徒の管理ができる」(だって、私のように学校の課題など無意味などと全生徒がいいだすと管理ができないでしょう?宿題を見る必要性がないのに、自らの首を絞めている教員側の愚かしさに気づかない。生徒の自主的な学習時間を奪っているとうことに気づかない。特に真に自主的で自律的な優秀な生徒をないがしろにしている)」、受験の機会が増えれば、大学進学への「通過儀礼」と化した高校の役割を最大限化できる。そして少子化に喘ぐ、教育よりも組織の存続=経済問題が最優先課題だという大学。
そうして作り出されるのが、中学生のような高校生。大学に進学する意義を持たない=自主的な向上心を持たない人間の育成。結果、大学が高校のような存在になるレベルの低下。「言いなり人間(わたしがいつもいうアンドロイド製造工場の学校教育)」
人間育成の本質を忘れた教育の在り方。大学も、高校の教員も(大学なんて一発勝負。3年で自由を生べと背中を押してやって下さい)、大学も。企業も一斉採用でさぞかし「効率」がよいのでしょう。
なんでもかんでも「評価」で縛り付けた結果、本当に中学生レベルの行動しか取れない高校生の存在に唖然としました。「学生」といえば19世紀末から20世紀初頭の書生を念頭に置いているので「バンカラ」の精神がないようでは、どうにもいただけないのです。
さて、問題は3点。
ひとつ。遅刻してきた生徒自身がどういう気持ちで登校してくるでしょうか?クラスの雰囲気は? 遅刻してきた生徒の所属する5人組の生徒ですら、心を痛めているのです。
ふたつ。「連帯責任」の意義を教育しなおしてください。社会は連帯責任です。現況の日本の教育はまずます自由度を失って、高校が中学化していると嘆く僕も、「社会の連帯責任」の中にいるのです。だから、こうして改革をすべく、学校に意見を述べるのです。社会に「排除」の気風を生み出すことは危険なことです。
みっつ。大きな問題です。「一挙手一投足」が「成績」で管理されるような教育が、いまだに高校であるということです。僕はその原因はなまくらな大学入試制度と、それに関わる一人ひとりの「怠けの精神」に由来すると考えています。小さなこと(今回で言えば、無事に目的地に到達できる能力)、大きなこと
都合、以下省略させて下さい。
では、失礼します。何卒、適切な対応をよろしくお願いいたします。
Posted at 2024/04/30 02:31:38 | |
トラックバック(0) |
出口 | 日記