わたくしは、ここのブログに乗り物関係についてのみ、書き綴っていこうと思ってたのだけど、少々カテゴリを増やしてみようかと思う。
ことの始まりは、別趣味の調べ事をしていたとき、興味深いHPを目にし心を揺さぶられた。
福島市民なら一度ぐらいは「青葉学園」という名前ぐらいは聞いたことがあるかも知れない。現在は福島市土船にある施設であるが、その学園の記事が目にとまった。それは「青葉学園」は昔、茂庭の「蛇体」にあったという記事だ。
茂庭の「蛇体」と言われても、普通はピンと来ない。茂庭の住人ですら「あそこだね」と即答できる人も少ないのではと思うほどの山の中なのだ。
福島市の地図や国土地理院の地図を見ても「蛇体」という地名はない。住所コード検索システムぐらいには引っかかるかも知れないが、「蛇体」という地名を確認できる地図はない。
addressつまり住所としての「蛇体」というよりは、俗称とかterritoryに近い意味合いで「蛇体」という名が残っているのではないかと思う。
前置きは長くなったが、↓は明治から大正、昭和を経て福島市北部にあった鉱山を示す資料の抜粋である。
上記の写真の中に「茂庭」を示す点があるが、この茂庭こそが「蛇体」を知る手掛かりで、この茂庭について「福島県鉱産誌」で調べてみると、↓
赤線のところに「蛇体」という記載があった。
茂庭→茂庭鉱山ということで、その茂庭鉱山には栄坑露頭、蛇体坑直、作坑主脈の3つの坑口があり、その中の一つである「蛇体坑直」付近がいわゆる「蛇体」地域ということになる。
では、「蛇体」地域のどこに「蛇体坑直」があって、「青葉学園」が存在したのか? 実はこの素朴な疑問こそが、冒頭に述べた”別趣味の調べ事をしていたとき、興味深いHPを目にし心を揺さぶられた。”ことなのだ。
実は私は過去にこの「蛇体」地域を訪れたことがある。当時は「蛇体」に「青葉学園」があったことは全く知らなかった。ただ、職場の先輩(かなり先輩)に、大滝集落から茂庭の烏川に抜けられる道があり、そこにはかつて鉱山があって、その辺は「蛇体」というのだと伝え聞いていた。数年後に「蛇体」を釣り目的で訪れたのだが、.だからこそあの奥深い山中に、しかも年端もいかない子供たちの施設が「蛇体」にあっただという信じがたい事実を知った時、心を揺さぶられたのだ。
さて、今回は「蛇体」に興味を持ったという話でしたが、次回も「蛇体」&「青葉学園」についてもう少し書きたいと思います。
ところで余談ですが、冒頭で”別趣味の調べ事をしていたとき”とありますが、その趣味とは「鉱物」について調べていた時のことでした。この「鉱物」については別途書くかは未定ですが、大滝集落周辺の鉱物関連を調べているときに、先述した「蛇体」&「青葉学園」の記事に出会った次第です。
もう少しだけ鉱物の観点から、この茂庭鉱山を見てみると「福島県鉱産誌」に掲載されている鉱石の品位表で作坑主脈のAg(g/t)値が桁外れに突出しています。Agつまり「銀」です。 1トンの鉱石にどれぐらいの銀が含まれているかを表す数値ですが、この数値だけ見ると銀山として十分に採算の取れる鉱山になり得る可能性があるのでは? っと思うのですが、この地が銀山鉱山として成り立たなかった理由はなんだろう?
1 銀鉱脈が薄かったのか?
2 あまりに山奥過ぎて鉱石の運び出しが困難だったのか?
3 そもそも鉱石の組成分析の誤りか?
4 銀は金「gold」と共に産出される場合が多いが、この地で金の話は聞かない ※1
様々な思いが駆け巡り、非常に興味深い茂庭蛇体の話でした。
※1 について
私独自の調査ですが、飯坂町茂庭、同じく中野で砂金を採取しました。量的には特筆するべき量ではなく、いわゆる「粉金」レベルの微量でサンプル資料です。
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山とか | 日記
Posted at
2017/11/15 20:51:21