イタリアのローマを親善訪問した某国の王女が滞在先から抜け出し、市内で出会った新聞記者と1日だけの恋に落ちる物語。
パラマウント映画製作で当初『素晴らしき哉、人生!』などで実績の高い監督フランク・キャプラが企画した内容だったが、低予算のため出演者とギャラの折り合いがとれず、いったん投げ出した。
その後、のちに大作『ベン・ハー』でアカデミー賞を総なめにする監督ウィリアム・ワイラーが企画を引き継ぐが、奇跡的に大物俳優、グレゴリー・ペックとの交渉が成立。
集客力の高いグレゴリー・ペックの新聞記者役が決まった時点で、王女役に関しては大物女優にこだわらなくてもよい状況になる。
…このときロンドンで見いだされたのが、当時ほぼ無名のオードリー・ヘップバーンだった。
さて私は40代のオヤジだが、ちょっとこれ10代とか20代の若い頃に観たら時代を超えて純粋かつ単純に胸ときめかせて楽しめると思うんだけど、あるいはおじさんでも少年のような心を持ったピュアなおじさんなら楽しめると思うんだけど、すでに心の薄汚れた私がひさしぶりに観ると「これは…現実感がなさすぎるんじゃないか…」という印象を持ってしまった。
「もともと現実的じゃない物語なんじゃないか」っていわれると、そういうことじゃなくてオードリー・ヘップバーンの存在がもう「こんなん人類史上の奇跡だわ」と思ってしまって現実感がないのよ。
五角形とか六角形で女優を各方面から5点満点で採点するグラフとかあったらオール5とかじゃなくて枠をはみ出して全方位的に6とか7になっちゃう感じなのよ。
オードリー・ヘップバーンだけで映画全体を支配しちゃってる感じ。
公開された1953年、この年のアカデミー賞最優秀女優賞をオードリー・ヘップバーンが獲得するが「そらまあそうなるわね」と。
制作会社は映画の完成後、グレゴリー・ペックの後にオードリー・ヘップバーンのクレジットを置いたが、グレゴリー・ペックから「俺と同列で表記しとかないとあとでまずいことになるよ」と忠告を受けて訂正した。
監督のウィリアム・ワイラーと出演陣はすでに無名のオードリー・ヘップバーンがすぐにスターダムを駆け上がることを予見していた。
こののち、グレゴリー・ペックはオードリー・ヘップバーンにとって終生良き理解者であり続ける。
…オードリー・ヘップバーンは女優として1950~1960年代に一時代を築いたが、1970年代以降はユニセフの親善大使を務め、紛争地域に足しげく出向き、映画にはほとんど出演しなくなる。
これは自身の幼少時、オランダでナチスドイツの侵攻とユダヤ人の強制連行を目の当たりにしていたことが原体験にあるためといわれている。
Posted at 2024/04/14 23:40:39 | |
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