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イイね!
2024年03月21日

さべつ…

ちょっと長いけど…

ここ数日、もやもやした気持ちで読んでいるものがあります。
イオンシネマでの車いす対応問題

ご存じない方もいらっしゃるかと思いますので
昨日のNEWS23の記事をリンクするとともに
概要をかいつまんで説明すると
①車いすの障がい者がイオンシネマのプレミアムシートで映画鑑賞後の体験をXに投稿

②プレミアムシートは通常席とは異なるラグジュアリーで快適な特別価格の席だが、
 その席に至るまでは劇場の特性上段差があり、車いす者が単独では行動できず、
 かつ、その席の横に着いてからも、車いす→プレミアムシートへの移乗も介助が必要

③映画館の多くは「車いす専用席」があるが、このX投稿者は、このバリアフリー設備を使用せず、これまでも同映画館で複数回プレミアムシートを利用した経験がある。 
これらの介助は、X投稿者に随伴した介助者ではなく映画館の職員が複数人で行っていた。

④今回これまで同様に映画館職員の介助を受けプレミアムシートで映画鑑賞した後に、
映画館支配人らしき人から
 「次回からは別の映画館を利用されては?」との提案を受け、X投稿者は悲しい気分になった。

⑤以上のような経緯をXに投稿され、イオングループは映画館職員の対応不備を詫びた。

⑥このような情報がニュースにまでなり、巷ではいろいろな意見が出ている。
 ・プレミアムシートへの移乗介助対応はサービスの範疇を超えたもので、映画館職員の意見は当然のものである。
 ・それなのにイオンが組織として謝罪した行為は安易であり、従業員を守っていないことに問題がある・
 ・Xに投稿した車いす利用の障がい者は、「介助されて当たり前」と思っているのか?傲慢すぎる
 ・健常者も障がい者を助けたい気持ちはあるが、感謝する気持ちがないなら、助けたくなくなる
 ・障がい者も健常者と同じように生活できる権利があるのだから、そのような権利が実現できる世の中になるべき などなど

この記事とそれに付随するヤフコメとか読んでて、モヤモヤが膨らむばかり


障がい者は健常者と違って、いろいろな肉体的制限があるのだから、それを補うために健常者の手を借りる必要が生じるのは、現状のハード整備状況では「いたしかたない」のが現実

理想は、障がい者も健常者と同じく、他人の介助なしで生活できるようなハード環境が整えられていて、他人の手を借りることなく生活できれば、まさにバリアフリー→ノーマライゼーションの世界だし、誰もが幸せに生きることができるユートピアだ。

このX投稿者の目指すところは、その理想獲得のために言っているのか?
それとも、健常者は障がい者のために手を差し伸べることか当然だと言いたいのか?

「障がい者だから」と下に見られ哀れみを持たれるのは嫌、そんな気持ちが根底にあるのは想像できる。
自分だって今は健常者の範囲に入る肉体状況だけど、いつ障がい者になるかわからない
その時に、「他人の世話にはなりたくない」という気持ちになる。
それは、他人の世話になることに「申し訳ない」という気持ちがあるから。
だけど、世話になったときは、その助けに感謝の気持ちは忘れない。

障がいがある人にとっては、望んでそういう境遇になった訳でも、自業自得でそうなったわけでもないのに「申し訳ない」という気持ちになるのは辛いことだし、
「健常者であれば、そんな惨めな気持ちを抱えることなく生きているのに、障がい者にとっては不公平な世の中だ」と思いたくなるのは分かる気がする。

でもね…
このX投稿者(車いす利用の障がい者)の考えは、私には理解できない。
この人は、五体満足の人は皆「健常者」とでも思っているのだろうか?
この人は、五体満足の健常者は皆、誰の世話にもならず助けられることもなく自立して生きているとでも思っているのだろうか?
この人は、五体満足の健常者は、障がい者のノーマライゼーション実現のために、時間・肉体・精神的に我慢や犠牲を払わなければならないとでも思っているのか?

もしそう思っているのなら、なぜそんな投稿をしたのかの趣旨は理解できるけど、
それは大きな間違いだよね…

「障がい」っていろいろある。脚が不自由な人ばかりじゃない。
目・耳・手はメジャーだけど、排尿排便だったり、匂いがわからなかったり、異常に汗かきだったり、逆に汗をかくことができない人もいて、身体的なものだけでもすっごくいろんな障がいある。

精神的な障がいまで言ったら、それはもういっぱいあって、でも外見では判らない状況もある。
加えて、それらの障がいは、手帳の有無にかかわらず、老いていくと大なり小なり必ず誰にでも生じてくる。

そして、さらに言えば
肉体的精神的にも何の患いもなく健康的な人だって、得手不得手があり、必ず何かしらあ「できないこと」がある。万能な人などいないのだ。

だからいろんな仕事があって、自分ができることで、できない人の「穴」を埋めて、その報酬で生きるとともに自己の存在意義を見出している。
そこには、上下関係なんてなくって、あるのはお互いを認め合うリスペクトと「感謝」なんじゃないかな?
報酬だって「感謝」を対価として表しているに過ぎないのではないかな?

私は仕事内容で人の上下・尊卑を決めつけない。
娘夫婦は今、トラック運転手をしているが、その仕事が医者よりも下だとは思っていない。
医者である兄もたぶん私と同じ意見だろう。
医者は人の命を預かっている崇高な仕事かもしれないが
トラック運転手だって、街の命を預かっている大事な仕事だ
あの大きな10tトラックをこの狭い日本の道で安全に運転できる人が、どれだけいるだろうか?
ひとたび運転を間違えば大惨事だ
彼らは街や道路にあふれる人の命を守りながら、物流という都市の生命線を動かしているのだ

最近は教師をバカ扱いしている人がたくさんいるけど、教師もすごく大変
勉強(学問)教えるだけじゃないんだよ
昔は家庭でやるのが当たり前だった「躾」を親の代わりにしないといけない
しかも、昔の親みたいに「口で聞かなきゃ体で覚えさせる」なんてもってのほか
さらにいえば、子がダメかと思えば、親が子どもみたいなモンペだったり
ひとたび問題があれば、すべて学校・教師のせいだとマスコミあげて徹底的に叩きまくる
やりづいらいことこの上ないだろうなと気の毒に思ってしまう

そんな世の中、
仙人以外、坊主神父も含めて誰一人として「他人に世話にならない生活」なんてできていないのに
「障がいがあることで、他人の手を借りることに卑屈になりたくない」ことを理由に
「他の人と同じように生活できて当たり前なんだから、手を貸してくれる健常者に対して感謝しないといけないとか卑屈になる必要はない」なんて
そんな屁理屈には賛同できないね

みんな平等というなら、障がい者だろうが健常者だろうが
できないことを他者にしてもらうことに「感謝」の気持ちをもたないといけないんじゃない?
「ありがとう」という言葉が、卑屈な言葉なのか?
「ありがとう」という言葉が、下から上に言う言葉なのか?
そうじゃないだろう?

障がいがあって他者の「世話になる」ことを卑屈に思う必要はない。
それは確かにそうだ。もっともな話だ。
だが
健常者から「してもらっている」のが当たり前で、感謝をしないといけない社会がオカシイというならば
その考え方そのものがねじ曲がっているような気がしてならない

車いすを押してあげる、手の届かないものを取ってあげる、筆談で会話する、手を取って誘導する…
「できない人」の「できない穴」は「できる人」が「できる範囲で」埋めてあげる。
それで社会が回ってるんじゃないかな? そこにお互いそれぞれへのリスペクトがあるんじゃないかな?

社会に生きる上で世話になる人に対するリスペクト…尊敬や感謝がなければ、それは傲慢だ。
その傲慢を堂々と「健常者は、障がい者が健常者と同等の生活ができるように支えるのが当たり前だ」と宣言するのであれば
言われた側からすれば、「次に何を要求されるか怖いのでもう助けません近づきません」って気持ちにもなるさ

そうなったとき
社会の一員として、世話になっている他者をリスペクトしながら共生している、多くの障がい者の方々から嫌われるのは誰なのか… 
それが分かっていないのかな?

別に、誰も
障がい者に手を差し伸べたら感謝されて当たり前とは思っていない。
困っているのを見たから手を差し伸べているだけであって
「してやっている」とか恩着せがましく思っている訳じゃない。
自分だってそうなったら困るもの。お互い様だと思っているんだけど…

その昔、考古学で教えられたことがある
なぜ人の寿命が延びたのか?
旧石器時代、人の寿命は30歳程度だった
旧石器時代、人々は食べ物を求め旅をするが、老いたり怪我をして歩けなくなった者は旅から脱落して死んでいった
縄文時代、農耕はまだその先だとしても、縄文人は放浪の旅を辞め、狩りをする者、道具を作る者、子どもの世話をする者と役割分担をして、安定的に定住する術を身につけていった。そこで歩けない年寄り怪我人の寿命が飛躍的に伸びた。
その結果、年長者(経験者)→年少者(未経験者)への「知の伝承・蓄積」が可能となり、人類の進歩は加速した。
家族観や死生観、ムラという概念が急激に確立されていったのはこのころだ。

今の近代社会、高齢社会とは言われているが
若者・健常者だけで社会は回っていくのか?
高齢者は若者にとって邪魔者でしかないのか?
障がい者は健常者にとって邪魔者でしかないのか?
若者はいつまでも若者のまま ピーターパンなのか?
障がい者や老人が、自分にできないことをやってもらうことは当たり前なのか?

それぞれに できること「役割」があるのではないのか?
自分ができないことをやってもらったとき、
「感謝」があって お互いが分かり合えるのではないか?

人と人との関係が希薄化し、
義務を果たさず権利ばかりを主張するモンスターと言われる人が出現し
失うものがないがゆえに、「権利」という名目で「失うものがある者」の萎縮に付け込み声高に叫び要求する
「誰一人取りこぼさない」「平等・公平」が理想ではあるが、
大きな声のマイノリティの要求が、サイレントマジョリティを制限し心を萎縮疲弊させ
それが社会のルールとなり、心のない偏屈窮屈な社会へ変えていく

縄文時代ではないが、
もっとお互いがそれぞれの役割をリスペクトし、自分が他者から恩恵を受けたことは感謝をする 
そんな社会であってほしい
縄文時代は大らかな時代で、1万年も続いたらしい。きっと今より精神的幸福度は高かっただろう

「手を差し伸べられたら感謝しましょう」
そんなことは、お礼を要求しているみたいで、サイレントマジョリティはなかなか言えない。

私は、本当は、障がい者にこそ、このことを発信してほしいし、そのことをマイノリティやノイジーマジョリティにわかりやすく宣言できる人たちではないかと思うのだが…
このX投稿者は違ったようだ

せめて、障がいをもつ人たち全員がこういう人ではないということは理解される世の中であってほしい
ブログ一覧 | 日記
Posted at 2024/03/21 21:56:48

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この記事へのコメント

2024年3月21日 22:11
こんばんは♪♪。

健常者は、障がい者になろうと思えば(極端な話)なることは出来ます!

けど、逆は難しいし、障がい者が健常者になれるケースなんて、よっぽどの運がなければ、ごくごく「まれ」だよね(泣)。

そこが決定的に違うと思う。

何だかんだ言っても、物理的に大変なのは障がい者ですもんね…🍌

(まあ、でも確かに傲慢な態度だったり、横柄な態度だと、確かに手助けする気持ちが薄れてしまうのも人間というものなんだけど…👻)

「平等」も、時と場合によって考えないと、かえって不公平になるのかな…。
身長が高い人と身長が低い人が、同じ高さの物を取るのは、やっぱり不公平…。(悪平等)

何かにつけ「平等」と言うのは、かえってギスギスしますよね(+o+)。

(もちろん、平等にすべきところは、ちゃんと平等にすべきだけどね)

ちなみに障害ではないけど、数年前に足を骨折して、障がい者がいかに大変か、しみじみ分かったのは、あります😊

何となく「あんまりペコペコしていても、事が進まないし、少々、我が儘ぐらいじゃないと生きていけないのかも」と思ったり(笑)

けど、最も理解されにくいのは「精神障害」なのかもですね…身体的な障がい者は、まだそこまで批判されていないけど、精神的な障がい者はけっこう批判されている気がする…⚽
コメントへの返答
2024年3月21日 23:01
こんばんは

この話題が「健常者」「障がい者」という言葉が林立するので私も使いましたが、
そもそも健常者とは何を指すのでしょう?
何をもって健常者を「何の問題もなく人の世話にならない完成された人」と定義できるのでしょう?

そう思うと、自分だって完全な人ではないし、いろんな不出来なところが肉体的精神的にあります。
手足に障がいがある人は「助けが必要だ」と解りやすいし、実際その身体的理由から助けを求められることは多いです。
でも「障がいがあるから助けられて当たり前」という態度を取られることも多いです。

私の同僚の話ですが、窓口に車いすの女性が来ていたので「何か御用ですか?」と尋ねただけで
「用があるから来たんだろうが!女だと思っていやらしい目でジロジロ見るな」と言われたばかりか、新聞にまで投書されてしまいました。
同僚にとっては当たり前のことをしたに過ぎないのに、相手方は最初から弱者被害者意識満載だったんです。なんだか腫物に触るようなシビアな人たちがいるというのも事実ですよ

平等って何なんでしょうね?
現実世界にはそんなもの存在してなくって、結局はいろんな人がいろんな配慮をし合って不足不平等を埋め合って社会を動かしているんじゃないかな?

その身になってみないと分からないことがあると思います。
一方で、今回のX投稿者は、介助を求められた側の気持ちを、その身になって考えることはしたのかな?と強く疑問に思ってしまいます。
こんなやりとりでは対立しか生まない。永遠に分かり合えないような気がします。

今回、歩み寄り・コミュニケーションを映画館にばかり求められているような気がしますが、それは一方的なものではなくって、お互いではないのかな?と思うのであります。
2024年3月21日 22:27
おいらが先日おなじような内容の話でブログにしていました。

投稿した人は「それが当たり前のこと」と思っていて冷遇されたと思ったのでしょう。
健常者・障害者という差別のある言葉は私は好きではありません。 「にんげんだもの」 。 けれどみんなの「当たり前」の基準も人それぞれであります。 やってもらって当たり前、やってもらえないのも当たり前、それが「個性」なのかもしれません。

障害のある人はどんどん人に甘えていい、助けてもらったらいいと聞いたことがあります。  なんとなくいい言葉だなと思って少し救われたような気がしたのであります。
自分から「たすけて」と伝えて快く応じてもらえるとありがたいのですが「やってくれるのがあたりまえでしょう」な言い方でムリをさせるとうまくいきません。

そもそもまだまだ元気なおだちんさんが介入するべき問題でもないかと^^;
茶ぁでも飲みながら静観しておきなはれ~

コメントへの返答
2024年3月21日 23:13
実はね、まりえしゃんのブログ用んだのがきっかけなのよ。そしてずっとモヤモヤしてるのさ

何かしら「できない穴(障がい)」があって、その「できない穴」を埋める必要があるなら、どんどん甘えていい、助けてもらっていいと、私も思います。
でも、相手にその穴を埋める術がない場合もあるし、穴を埋めてもらえたら、それに対して感謝の気持ちは持つのが「お互い様」だと思うのです。

実際、その身にならないとわからないことはたくさんあるし、望みがあるなら、どうして欲しいか言ってもらった方がありがたい。
でも、そのやってもらうことを「当たり前」と思われると、自分の身体・時間を割いてやったことだから、非常に気分を悪くしてしまうんですよね
ほら、人ってやっぱり感情で動くことがあるじゃないですか?その感情を滑らかにする言葉が「ありhがとう」だし、感謝の気持ちの表れなんだと思う訳よ

最後の三行はよくわからんけど
私を当事者ではない健常者だと決めつけるのも気を付けなはれw
人は外見ではわからん、いろんな障がいやコンプレックスを持ってるものよw
2024年3月21日 22:54
こん〇〇は♪
ご無沙汰しておりまーす。

非常に難しい問題でもあり簡単に思うことも多々あります。
あくまでも健常者側が “支援” の気持ちあればいいと考えてます。

何でもやってもらって当たり前と思う障害者は、健常者から障害者になった経緯がある方が多く卑屈に考えがちです。ただ、プライド高い方が多いことも事実であり必要以上に手を差し伸べれば毛嫌いされます。

お互いもっと素直になれば両者が気持ちいいで終わります。
手を出し過ぎれば、独りよがりの介助になってしまい相手には
そこまで頼んでないのに。で終わってしまいシコリが残り卑屈に考える
タネを植え付けてしまうこともあります。

もっとオープンに声掛けできる世の中に今後なるよう
私も業務に励むキッカケなblogを読ませて頂きありがとうございます。
コメントへの返答
2024年3月21日 23:24
Keんさん こん〇〇は!
本当にお久しぶりですね!!

Keんさん、そのほうの関係者でもあるので、とても現実的かつ分かりやすく反応返してくれました。
ほんまありがとう

誰にだってプライドはあるし、それを自分の身体のことで「憐れんだ対応」をされたらそりゃ怒りますわな
そこは私ども素人はわからんのです。憐れんだ目でなんか見てないけど、困ってるなら何か手助けしたいと、余計な気を回しすぎたりもするんです。
だからこそ、コミュニケーションが必要だし、お互いが分かり合おうとする気持ちが必要なんだと思います。
そこに素直さが必要なのは本当にそうですね

今回のX投稿やそれに乗じたマスコミ報道など、なんだか素直じゃなくって、その裏に妙な権利意識や行き過ぎた平等、民衆の扇動を感じて気持ち悪くてしかたないのですが…

こんな話、
もっとオープンに相互に話せる気持ちがあれば、こんな大ごとにならずに済んだのに、とつくづくイヤラシサを感じてしまうのですw

そんな気持ちを慮ってくれて
ありがとうございますw
2024年3月22日 0:31
まさに、おっしゃる通り、「できない人」の「できない穴」は「できる人」が「できる範囲で」埋めてあげる。これですよ。
実例として、駅障がい者のためにみんなが譲って、協力して、世話してもそれをしないと悪者にされる。
反面、エレベーターで先に入ってボタン押して待ってあげるだけでもおを言う方もいらっしゃる。
前者は言わずもがな○○。
後者はわかり合える同胞で同じ日本人として頑張って社会に貢献しようとしているし、もちろん納税の義務を果たして国民としての権利を得ている方で、健常者、障がい者の区別なく友達になれるタイプだと思います。
コメントへの返答
2024年3月25日 21:35
すみません コメいただていたのに返信漏らしてました<(_ _)>

車いすの方にもいろんな人がいます。このX投稿者が全ての車いす利用者を代表している訳じゃないし、むしろ世論を持論でひっかきまわす少数派(ノイジーマイノリティ)だと思います

しかし
いろんな障がいがある中で、なぜだか声が大きいのは車いすの方が多い気がします
障がいを乗り越えるバリアフリー→ノーマライゼーションは車いす対応の段差解消だけじゃないんですよね。目・耳が不自由な人への環境整備って、車いすに比べて後手に回ってる気がします
ましてや発達障がいなど精神的なことに関しては理解さえ進んでいません
国力が衰えていく今、LGBT含めマイノリティ・弱者ということを前面に出した「大きな声」に振り回される変な平等は、そろそろマジョリティの経済力・体力・精神面に過重な負担となっていることに気付いてもよいような気がします。
もちろん、障がい有無にかかわらず助け合いは必要だと思いますが…
2024年3月22日 3:19
とても良い文章読ませていただき感謝です
私の今の職場は、私は皆の手伝いできるのに、
私の代わりには誰もなってくれない(なれない)
という状況で、それでいてリスペクトが無くて
日々、イライラしないように仕事しています

面接のときに「家族経営の職場で以前散々だった」
と言ったのに蓋を開けたら超~家族経営で(笑)
どいつもこいつも似たり寄ったりの性格・性分なんですよね

ありがとうや労いの言葉を言えない人には
こちらも言いたくなくなってしまいますよね

空気の悪い職場ですが、好きな事(デザイン系)を
やらせてもらってる、と思って大人な心で許して差し上げていますw

クソ関係ない話ですんませんm(_ _)m
コメントへの返答
2024年3月23日 22:02
長い文章を読んでくださりありがとうございます

障がい有無にかかわらず、最近はいろんな人がいろんな主張をしていて、個人が尊重される社会ということで、イイことのようで実は組織として動くことにはなかなか課題を生じることが多くなっています。
問題は、個人も尊重するけど、組織(集団)的な考え方も尊重してねってところが機能していないこと

家族的という言葉には個人ではなく最小単位の集団の意識が働くことを指すのですが、家族的だってその集団の空気感を大切にするために個々が互いに慮ることができないと成立しないんですよね
もしかして「家族的」という言葉に「それぞれの個室に籠りっぱなし」といったことをイメージしている人たちが一定数いるのかもしれませんね
なんだか難しい…
2024年3月22日 7:22
おだちんさん、おはようございます。
前回のブログのコメント返信ですが元気に過ごしおります。お気遣い有難う御座います😀

今回のブログは感慨深く拝見させて頂きました。 
障がい者※今、気が付きましたが、障害者←「害」にまで配慮して記されて配慮が素敵だと思います。

捉え方が様々なので誤解を招くかも知れませんが私の意見としては、Xの人は何事にも享受してもらうのが当たり前であると思っているのは少し傲慢なのかも知れません。
「有難う」← 有ることが難しいのに、手助け(介助)有ると感じるから「有難いな~」って思うわけです。
私自身、思う事は沢山ありますがキリがないので今回はここまでにさせて貰います(笑)
コメントへの返答
2024年3月23日 22:13
うっつあんさんこんばんは
どうかお身体大事になさってくださいね

何かをしてもらうたびに「ありがとう」を言わないといけないならば、精神的に辛いという気持ちも分からないでもないです。
が、しかしそれは「感謝しなければならない」「ありがとうといちいち言わなければならない」という強制されている気がするから辛いのであって、その気があれば言葉にするしないにかかわらず態度とか空気感に表れると思うんですよね

その身にならないと分からないことはあると思いますが、それはお互いそうなんじゃないかなと思います。
人は一人で生きていけるワケないので、分かり合える社会にならんものかなぁと思っています
2024年3月22日 11:41
重ねてすまんです。  背景の壁紙がめっちゃ邪魔してかなーーり読みにくい画面であります💧  改善求💦
コメントへの返答
2024年3月23日 22:15
すみません
スタイルシートの変更方法を研究してみたいと思います。
取り急ぎ、もしよろしければ、スマホ版で見ていただければ、読みやすくなると思います<(_ _)>
2024年3月23日 9:05
思う事が二つあります。

ひとつは・・・ 『当たり前』なのか『ありがたい』のか。ここの捉え方ひとつで全く正反対になってしまう。

ふたつめは・・・ ありがとうって言ってもらえるなんて最高のご褒美であって、それこそありがとうなんだけど、それを知らない人が多過ぎる。それこそ魔法のような素敵は言葉なんだけどな。

色んな人が色んな目的で色んな発信するから振り回されないようにしなきゃです。
コメントへの返答
2024年3月23日 22:21
メガさん
相変わらずわかりやすく整理してくださいました。

この憤りはもしかしたら
手足といった身体障碍者は外見にもわかりやすくっ手助けもあり、施設も配慮が多いのに
発達障がいや精神障害がいに対しては、手助けどころか「気持ち悪い」「変なやつ」「怖い」そんな意識で見られる現実があることに、不公平感を凄く感じるからかもしれません

言葉は悪いですが、イイよな車いすはいろいろ慮られて発信できて。車いすだけが障がい者じゃないんだぞ!って言いたくなる気持ちが根底にあるんです。
すみません酔いました<(_ _)>

プロフィール

「めしくってあそんで http://cvw.jp/b/682641/47656186/
何シテル?   04/14 22:32
おだちんです。よろしくお願いします。 平成13年式レガシィBH5D海苔です。 10万キロを超え「弄る」が「維持る」に変わってきています。 愛娘(車)と釣り...
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