今日4月21日は『民放の日』です。
1951年に日本で初めて民間放送16社の予備免許が与えられて、日本民間放送連盟が制定されました。
NHKと違って民間放送は宣伝を流す事で、広告収入で成り立っている放送局で、17年後の1968年に民放連が4月21日を『放送広告の日』として制定して、1993年に『民放の日』に改称されました。
自分が小中学生の時は確か『放送広告の日』は特別番組が放送されて、名作のコマーシャルがあれこれと流されていた気がしますが・・
自分は小学4年生の時に父親が林業で山に持って行くトランジスタラジオを触ってみて、そこから民放の歌謡曲やポピュラーミュージックが流れるAM放送が好きになりました。
小学5年生の時にはFM放送やカセットテープに興味が出て来て、これが自分のオーディオ人生の第一歩になったのですが、6月2日の誕生日の少し前の5月の後半に親からソニーのラジカセを買ってもらいました。
ただFM放送は民放が無くて、NHKFMのクラッシックやバロックや朗読や民謡など、自分の興味の無いジャンルの内容で、せっかくのFM機能が活かされていませんでした。
そんな退屈していたFM放送を大きく変えたのが民放FMの『FM福岡』の登場で、北九州市の皿倉山から放送される80・0メガヘルツの電波は山口県美祢市にはノイズに紛れてやっと内容が分かる位の聞こえ方でした。
そこでロッドアンテナの先に銅線を繋いで外に出すと少し感度が上がった様な気がしましたが、そこは波長計算も何も分からない小学生の行き当たりばったりで、もんもんとした毎日を過ごしていました。
小学6年生になった時にアマチュア無線をしている先生と出会って、電波に興味がある自分に「夏休みに萩市の電波学校で特別講習があるけれど行ってみないか?」と誘われて、親に相談したら萩に母方の祖父の従弟の家があるからそこに泊まって講習に通ってみる事になり、講習の最後には国家試験相当の試験がありました。
現在の4級にあたる試験の内容は、今の3級と同じ内容で、更に四者択一の試験ではなくて、長四角の解答欄に筆記で答えを書き込む方式で、半年後には四者択一に変わって合格率は一気に上がりました。
友達からは「井川は難しい試験で通って損したな。自分は簡単に取れたのに。」と言われましたが、この難しい試験の時に合格した事が後の自分の人生に大きな影響を与えて、今考えたらお金にしたらいくらの価値になったのだろう?と考える時があります。
ただ自分は難しい国家試験に受かったものの、小学生の時には無線機は買ってもらえず、電波学校で習った波長計算などを使ってFMラジオの感度をいかに上げるかという実験を行っていて、感度が上がったら次は音質と、LC共振を使った音質アップなどの実験を行いました。
中学の途中で親に無線機を買ってもらって、もっと高度な波長計算やLC共振などの実験を行いましたが、最初のきっかけは民放のFM放送をいかに綺麗な音で聴くかが今のオーディオ人生に活かされています。
そのうちラジオを聴くだけでは我慢出来ず、ラジオに出演する様になって、民間放送にスポンサーとしてお金を払う立場になって、今日の民放の日は自分にとって感慨深い日となっています。
追伸
最近ラジオは聞き逃しても後からラジコのタイムフリー機能で聞く事が出来ます。
自分はFM山口で月曜日の朝5時からの『ファミリー・ディスコ』を聞いていますが、ある方とラジコのタイムフリーの話をしていたら、「あれはいいですよね。聞きたい番組が前後1週間聞けますから。」と言われました。
自分は心の中で、「前後1週間? ひょっとして未来の放送まで聞けるの?」と思いましたが、相手に恥をかかせたらいけないので、そのままにしていました。
Posted at 2024/04/21 16:40:20 |
トラックバック(0) |
音楽について | 日記