さてみなさん
先日のエンジンブローのブログへのコメント及びメッセージにて、暖かいお言葉を頂きありがとうございますm(__)m
リアルだけでなく、みんカラでのみでのお付き合いの方々にも優しい言葉を頂いて、なんだか申し訳ない気持ちで一杯です。
また追ってその後の報告はさせていただきますねm(__)m
さて、
総走行距離135,000kmの愛機
H19年式 ABA-CL7 アコードEuro-R
その出会いはH24年のことでした。
当時、会社の所属が変わって次の配属先に赴任するまでの3ヶ月間、東京の本社に一時在籍する為に千葉の社員寮に入りました。
当時の愛車はH18年式GD1フィット
今思い返してみても、
とても良いクルマで、ガソリン代がかなり高騰したH21年ぐらいに中古で購入してから8万kmオーバー走行し、何の不満も無く使っていて良い相棒でした。
そんな中、東京に一時的に籍を置くことになった最初の週末、当然ながら土地勘なぞ一つもない環境で迎える最初の休日、何をして過ごそうかと考えた結果、
中古車屋巡りをしようと思いつきました。
当時欲しかったクルマの本命はというと、
アコードツアラー
未だにこのデザインは素晴らしいですね!
その日は埼玉エリアの複数のツアラーを売っている中古車屋の見学を計画。
その時に一台、走行距離の割に当時の相場よりかなりお得なCL7を発見しており、CL7も発売当初から欲しくてたまらないモデルでしたので徘徊プランに入れることとしました。
CL7はその徘徊プランの中では一番遠方の熊谷市にありましたので、朝イチ一発目に行くことにしました。
当時の写真を引っ張り出してきました(笑)
春日部ナンバー
マツダディーラーの中古車コーナーにて佇むCL7
確かRX-7だったかRX-8の下取りで入庫していたと記憶しています。
前オーナーはどんな人かはわかりませんが、
アコードが嫁いできて数年後、全く使用していなかったCDスロットから、浜田省吾のCDが出てきた時、なんとなく前のオーナー像が垣間見れた瞬間でした。
話は戻って、
当時の中古車屋としては珍しく、快く試乗OKとのことで営業さんを隣に乗せて熊谷の農道を快適に試乗させてもらいました。(最近は割と試乗OKな風潮ですよね)
試乗を始めてすぐに一目惚れゾッコンラヴ(○´∀`○)
即購入する気満々となり、ディーラーに戻ると同時に商談ルームで仮契約書を記入し、手付け金を払ったのを今でも覚えています。
納車時の写真です。フィットは走行距離の割には下取り価格は頑張ってもらい、納得の査定額でした。
実はこのフィット、半年後に奥さんの初めてのマイカーを探している時に、埼玉のマツダで売れ残ってるのを偶然発見して、素性のわからない安い中古車を買うより自分が所有・メンテしていたクルマの方が信頼性も担保でき、もし壊れても諦めがつくと思って、再度買い戻した経緯があったりします(笑)
N-BOX購入まで頑張ってくれて、その後オークションで買い手がついたとか…まだ国内にあるのかどうかは定かではありません。
こうして、私とアコードとのカーライフが始まりました。
当初はサーキット走行の「サ」の字も想定していませんので、弄り方もそれなりにマイルド(笑)
無限の5ADJ.サスペンションキット
ホイールを交換しても純正とほぼ同等サイズで、今思えば健全なカーライフだったなぁ~
潮目が変わったのは平成26年
愛知県に引っ越した当時からお世話になっているマイディーラーで、鈴鹿サーキットでの走行会に参加したのでした。
今思えばサーキット走行デビューが鈴鹿なんてどうかしてるぜwww
タイヤも中古の4年落ちポテンザRE050Aで、無謀とも思えるチャレンジww
30分×2本の走行で、1本目こそ無事に走りきりましたが、突然のスコールの後の2本目は見事に130Rで挙動を乱し、グラベルの餌食に(笑)
初サーキット走行にして、初牽引というステレオタイプなデビューを飾りました。
その冬も懲りずに鈴鹿サーキットでの走行会に参加。
なんのドラテクの向上も無い状態での走行なので、終始夏のコースオフのトラウマからビビりモードで、動くパイロンと化し、誰に負けたわけでもないですが、敗北感と共に走行終了。
これではいつまで経っても楽しく走れないと思い、次第にスポーツ走行への思いを強くしていき、家から一番近い美浜サーキットへ赴くようになりました。
それが2015年(平成27年)の5月頃の話です。
その年はひたすら美浜サーキットを走り、走り始めた2015年5月当初はベスト53秒ぐらいだったのは、年末にはほぼ同仕様で49秒フラットぐらいで走れるようになりました。
その間も無知ゆえの過ちでセミスポーツパッドを2ヶ月で溶かしてしまい、新品ローターも同時に2ヶ月でオシャカにしたりと、
アイタタタ(*´Д`*)なドライバーでした(笑)
2016年(平成28年)は更にスポーツ走行にのめり込み、物騒化が進みました。
その頃、まだあまり流用している人が少なかった、KB1レジェンドキャリパー
街乗りスペックではあるものの、アラゴスタを導入。
この頃で美浜のタイムは48.5秒かな?
もっとちゃんとしたサーキット対応の車高調にすべきだったんでしょうが、今となっては、この車高調で良かったのかな(笑)
春には晴れてHAOC東海に参加すると共に、やっと他のアコードオーナーとの交流を持つようになり、それまで閲覧専門だったけど、みんカラもその頃から始めたのでした。
意外に短いみんカラ歴(笑)
夏には美浜走行後に1速に入らないというミッショントラブルを経験し、プチミッションO/Hを実施。
ついでの作業でFD2の5.1ファイナルや軽量フライホイールなど、順調に物騒化を進めます。
その真夏にやっと鈴鹿サーキットへのリベンジ!
無事に2本走りきり、2分44秒。
なんやかんやでこれが最後の鈴鹿サーキット走行となってしまいましたね…
結局たった三回しか鈴鹿の本コース走ってません(笑)
秋には初めてのHAOC走行会で、多くのアコードオーナーとお会いすることが実現し、鈴鹿ツインのフルコースを初めて経験。
ベストは1分12秒
その頃にはタイヤサイズも245/40/R17を履くようになり、美浜でのベストも47秒台へ
2017年になり、念願のナックル曲げを行いフロントのキャンバーをゲット
引き続き美浜を主に走って、ベスト47.4秒へ
同時期のHAOC走行会も1分10秒台へ
その春の美浜での走行会で派手にミッションブロー
今思えば、ここがアコードオーナーとして一つの分岐点だったのでしょうね…
ミッションをほぼ刷新、SPOON5.3ファイナルを導入し、更なる戦闘力を得て最早引き返せない領域に…
夏の鈴鹿は走行はせずに
しこやんファミリーとプールへ!
これは今年も実現しないといけませんね(笑)
この間もリハビリと称して美浜を走り続け、
最終的に美浜のベストは46.8秒
ツインは11月のHAOCで1分9秒7
結局、自身のスポーツ走行は美浜が数十回
鈴鹿ツインと鈴鹿サーキットで3回づつと、
ほぼ美浜オンリーな走行結果となりました。もっと他のサーキットも走りたいなぁ~と思ってた矢先のエンジンブローとなりました。
こんな感じで愛機CL7とのカーライフは過ぎ去って行きました。
購入から約10万km走行したことになります。
さて先の通り、その鼓動を止めてしまったK20A…
未だにディーラーの店舗の裏でひっそりと佇んでいます。
勿論このままというわけにはいきませんから、新たな一歩を踏み出さねばなりません。
そう、自分とCL7との第二のカーライフのための「はじめの一歩」を踏み出さねば!
幸せなことに、私1人なら
「廃車」→「乗り換え」
という選択肢しか選べないところでしたが、そうでない選択肢も選べることになりました。
まだまだ第二のカーライフのスタートには時間と費用などなど、超えねばならない壁はありますが、廃車と乗り換えは回避できそうです。
とにかく立ち止まっていても仕方ありませんので、今週末にアコードを自ら某所に積載車をレンタルして搬送し、今後の方針の検討に入ります!
あまり派手な展開にはなりませんが、今後とも生ぬるく見守っていただければ幸いですm(__)m