2012年01月03日
AKBっていっぱいいるなぁ。
よく出てくるなぁ。と思った年末年始。
AKiBaでAKB。
自分の知っている秋葉原って、デイバック背負って基板・抵抗・コンデンサ・ケーブル・真空管・スピーカーなんか買いに行くところだった。ガード下・ラジ館・秋月とその周辺。
十字屋なんてラジコン専門店なんかも。
暇な年末年始、電気・電子の街だったのが、AKBにどうやってつながったのか自分なりに考えてみました。大きく分けると今まで3つに分かれて、自分が知っているのは2つ目まで。
第一期:ハードウェア期
無線(ラジコン含む)・アンプ・スピーカ・テープレコーダー 基本的にハードオンリー。
自分で何かを作る為に行く、というクリエイティブな意気込み満載だったころ。
自分のときはAudio主体の電子工作の部品集めと、ラジコン。
第二期:ハードからソフトへの移行期
ビデオ・CD・レーザーディスク・VHDというハードもさることながら、目的がソフト、特に中古や怪しい系がそろうのがアキバだけだった。
これにTVゲームが拍車をかける。
AVがAudio&Visualなのか、AdultVideoなのか、アキバではどちらも主流だった。
いずれにしろ、既製品が主体となる受身的な部分が大きな部分を占めてくる。
これらの、特に「特殊な」既製品は新品にしろ、中古にしろアキバに行かないと手に入らなかった時代。
もともと電気製品(アンプやスピーカー等、ラジコンもだ)でも「特殊な」既製品はアキバに行かないとお目にかかれなかった。また、「特殊な」既製品という点からすると、秋葉原の周りには紙系の神田古本屋街、ミリタリー系の上野がとても近い。
実際、アニメ・映画ソフトは秋葉原へ、漫画・映画ポスター・パンフレットを探しに神田へ。モデルガン・エアガン・ナイフを求めて上野・アメ横へと歩き回った。ツヅミ弾が一掃されてBB弾が主流にもなったのがこの頃で、エアガンの一般化が進みだしていた頃。
また、巨大な「特殊な」既製品のある交通博物館も秋葉原には隣接していた。
他にもゴルフ・スキー用品も神田・上野に専門店がいっぱいあった。
化粧品類・食料品も「特殊な」物が上野には多く、楽しかった。
神田(御茶ノ水)ー秋葉原ー上野 のトライアングルはもともと「特殊な」既製品がそろうレア物トライアングル。
ただ、電気製品を媒体としないと再現されないソフトウェアという特異性から、アニメ・ゲーム系ソフトは秋葉原への集中が進む。
ソフトという点では神田古本屋街が隣接しているにもかかわらず、この時期、これらのソフトの中古ショップが神田に出来たり、漫画や映画パンフの横にビデオやLDが並ぶということは神田ではみられなかった。ゲームが並ぶこともない。
あくまで電気製品の一部としてそれらのソフトウェアは秋葉原に集中した。
一方で神田の古本屋街はアニメ・ゲーム系を拒絶した(とはいえ自然な流れの中で)ことから、ハードメインだったアキバがソフトのアキバに変貌し始める。
せいぜい、Audio系のみであった第一期と異なり、Visualが加わったことからそのソフトの支持層がゲームという新たなジャンルを加えて爆発的に増えることになる。
ここで、アキバの集客層の主体が「ソフト」に移り始めていく。
しかし、傍目には電子部品を買いにくる層とソフト支持層に対して差がないところで、また、同一人物であったりするところで、この変遷を非常にスムーズに進めることになる。
例えば神田の主流層であるおっさんワールド(しかもどことなく閑散としている所がミソ)に、ゲーム・アニメ系のにーちゃんたちが入り込むのは受け入れる側(エリア)としても非常に
違和感がある。
第三期:ソフト期
ゲーム・アニメのキャラのファンがその規模とともに、アイドルのファンと同質化していく。キャラのアイドル化が進む。
ただし、キャラは二次元である為、フィギュアやコスプレという形での実体化(3D化)がアキバを中心として進んでいく。ソフトともにそれらのグッズやコスプレを楽しむというジャンルが出来上がる。
テレビなどのハードのソフトであるアイドルも、同じくソフトであるアニメ・またゲームのキャラとはその性質は同質。
ソフトの一つとしてのアイドルもアキバでもともと許容されていた存在であり、同質なものであるがゆえにアキバというエリアで共存が成り立つ。
このようなエリアは世界広しといえどもアキバしかない。
そんなアキバにAKB劇場が出来たのは、当時そこでしか成り立たない異質さがアキバにあったからではないかと思う。
昔からある「特殊な」物があつまるレア物トライアングルにあって、電気製品というハードのソフト集約を果たしたのがアキバであり、同じくソフトとしてのアイドルを維持できる環境を備えていたエリアであったということだろう。
メジャーになる前のAKBを支え、育てられたのはやはりアキバだからなのである。
そして、AKBのビジネスモデルがその成功とともに周知され、一般化したので、AKB劇場はアキバ以外でもやっていけるようになった。
アキバの新しいものを生み出し育てる力とはたいしたものだ。
そういえばメイド喫茶もアキバで育った。
同質性を持つものが維持し育てたものが世に出る流れ、アキバ以外であるのかな?そんなアキバはやはり世界のアキバなんだなー。
と思った年末年始でした。
Posted at 2012/01/03 14:23:56 | |
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