スーパーカーブームの真っ只中?イタリアン・エキゾチック御三家の一つ、ランボルギーニは旗艦たるカウンタックが何と言っても人気を集めていたと思います。
LP500云々はこの号でも記事になっていましたが、謎が噂を呼び当時少年達の間で大きな話題となった物に「コンペティシオーネ・ミウラ」があります。
そう!Jota=イオタですね。
これは、あのトミタ・オートが入れた個体で、神戸港に揚げられ仮ナンバーのままの状態で、Uカー試乗記事でお馴染みの岡崎宏司氏が試乗しています。巷間云われていた「情報」や「説」はあくまで未確認であるが故に多くの謎を秘めています。
記事抜粋:
『ランボルギーニは、フェラーリに対する強烈なライバル意識をそのエネルギーとして立ち上がり、また育ってきたメーカーであるといっていい。サンタガータから送り出されるモデルはいずれもフェラーリのライバルたるにふさわしいスペックをもつが、残念な事に、フェラーリのもつレース・トラックにおける輝かしい栄光の裏づけがない。これは、サンタガータのスタッフにとっては、まったく耐え難い事であったろうと容易に想像がつく。』
『いまだにファイティング・ブルがレース・トラックに姿を現したことはない。しかしテスト・トラックにおける孤独な疾走の事実は、外誌で報じられた事もある。そのひとつが、ミウラのコンペティシオーネ・モデルだ。このマシンは1台しか造られなかったとも云われるし、2台あるいは4台と言う説もある。』
僕はたった1台しかなかったイオタはテスト中にクラッシュ炎上したと何かで読んだ事がありましたが・・・岡崎氏は2台説が有力としています、1台は映画監督のパゾリーニ氏、もう一台は「ある中近東の王族」の手に渡ったと・・・。
『肝心のラ社もイオタについては口が堅いらしいが(中略)イタリアを訪れた知人がラ社の広報から聞き出した言葉によって「ある中近東の王族」説は確認された。』
『このコンペティシオーネ・ミウラこそ「本物」のイオタであるわけだが(中略)、前述のようなカネにいとめをつけないコレクターの手に渡ったあと、イオタは計画が中止された。その後、ラ社自身の手によって7~8台のコピーが造られた。』
が、それ以外にもミウラをイオタに似せて改造された「もどき」はどれだけ存在するか判らないようですね。このラ社製オリジナル・コピーは「イオタ」を名乗る事が許され、この神戸に上陸した個体も正規のランボルギーニ製「オリジナル・イオタ」であると言う証明を受けているらしいです。さすが曰くつきの個体を多く扱っていたトミタ・オートらしい出物ですね。
Posted at 2010/01/31 14:34:13 | |
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書籍 | クルマ