「みんカラは車の事を書く場で、車に関係の無い事を書く人はおかしい」
的な事を書かれている方のブログを拝見した事がありました。このようなお考えの方からすれば私のブログなどは間違いなくおかしい訳で、特に最近はその傾向が強くなっているのではと自認する訳でございます。
件のブログの主、恐らくはお若い方なのだろうと思いますが、確かにお若い方ならばそう考えるのも無理はなかろうと妙に納得する部分もあるのです。
私自身も20代~40代前半くらいまではとにかく車が中心で、若い頃などは分不相応な車を60回ローンで購入した事もありました。今になって60回払いの金利を考えると卒倒しますが、その経験も含めて車が自分に与えてくれたものは計り知れないものが存在したと思っています。
50代になった今でも車は自分の原動力のかなりの部分を占めていると言えますが、ここに書く内容が変化した通りハードとしての車一辺倒よりも「自身の生活に寄り添う車」としての側面のほうが魅力的に考えるようになったのが最大の要因です。
そんな訳で誰が何を言おうと今後も直接車とは関係の無い内容を書き続けると思いますが、殊更に件のような方にフォローして欲しいとは微塵も思いませんし、むしろ立ち去って頂きたいまである程です。そんな事も含めてこちらは文面にてある程度の素性を公開している以上、自己紹介無しの相互フォローはお断りしている旨を御理解頂きたく存じます。
さて、今日も車に関係の無い事を書きます(笑)
私の義母、いつも我々が連れ出す場所は自分には関心の無い場所も少なくないと思いますが、それでも嫌な顔などせずにニコニコと同行してくれます。そして自分からは決して〇〇に行きたいとは言わない人であります。
そんな義母が珍しく、「明日都合が良ければ2件のお墓参りに出掛けたい」と申しました。聞けば一軒目は若い時に勤めていた頃から親しくしていて数年前に他界された方のお墓で、もう一軒は義母自身の祖父母の眠る墓地で、練馬から三ノ輪という正反対の場所でありました。
三ノ輪はともかく練馬はあまり縁の無い場所で、近くて遠い所という印象を持っていましたが、地図で見るとそれほど遠くも無いのでドライブを兼ねて出掛けて参りました。
最初の練馬は平和台の環八からすぐの寺墓地で、井戸から水が出る綺麗な墓地でありました。墓前に花を手向けて長い合掌を見ていると本当に仲が良かったんだという関係性が無言のうちに理解出来るものです。
もう一軒の三ノ輪のお寺は浄閑寺と言う徳川家綱の時代に創建されたお寺で、近くに吉原遊郭があり、遊女が亡くなるとここに埋葬されて「投げ込み寺」と呼ばれる悲しい歴史もあります。
境内の一角に永井荷風の筆塚がありました。
その脇には永井荷風文学碑がありました。
今の世のわかき人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の藝術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり。
團菊はしをれて櫻癡は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を燬きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の藝術を。
くもりし眼鏡ふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の世の兒ならずや。
当時の文壇で活躍された様々な方の名前が登場しますが、中学に入った頃に兄の本棚から「墨東奇譚」を引っ張り出して読んだ記憶があります。永井荷風の墓所はここではなく雑司ヶ谷霊園だそうですが、そのどちらも自分にとって身近な場所であり、以前にここでも触れた滝田ゆうの漫画「寺島町奇譚」はこのオマージュかと思います。
吉原遊郭のあった今の千束には多くのソープランドが存在する風俗街ですが、この一帯には新宿や池袋のような緊張感は無く、むしろ近隣住民との良好な棲み分けすら感じます。それはフェミニストの方には怒られそうですが、これもまたひとつの江戸から続く文化であり、歴史には必ず光と影が存在するという好例と言えます。
「ずっと気になっていたお墓参りが出来て良かったわぁ」と破顔する義母を見て思ったのですが、もう何十年も前に同じ職場で勤めた者同士には共通の苦労があっただろうと想像します。勿論苦労ばかりでは無かったでしょうが、そんな喜びも苦しさも含めて懐かしいのだろうと思うのです。
よくニュー新橋ビルや八重洲地下街の立ち飲みでご高齢のグループがご機嫌で歓談している様子を見掛けますが、きっと彼等も若い頃にこの近くに勤めていた同僚なのでしょう。私自身は勤めていた時代が短く、加えて自分の特殊な性格が災いしたせいで勤め人時代の友人が極めて少なく、更に一人で生きて来た時間が長いのでそんな関係性の人達を見ると微笑ましくも羨ましく思うのです。
私自身は下戸ですが、多くの場合残念ながら下戸はコミュ障になってしまう事が多いような気がします。そんな下戸は下戸なりに自分と共通の何かを持つ友人の存在は本当に貴重だと感じております。
件の永井荷風の文学碑ではありませんが、今の自動車に纏わる世の中の変化を見ていると「われ今何をか見得べき。」と思うのであります。
そして墓参にはこの車を使いました。環七や環八というゴー&ストップが少ない幹線道路の移動が長かったので、驚くほどの好燃費でありました。
最近御馳走が続いたおかげで、胃袋が疲労困憊しています。
そんな話をしていたら友人がこの瓶詰を教えてくれました。
北野エースから出ている鮭と鯖の瓶詰です。
こうした瓶詰は珍しいものではありませんが、大抵保存を重視してやや塩がきつい印象があります。が、こちらは塩が控え目で、とにかく白いご飯に最高に合います。
北野エースは色々なところにありますが、今の私はこれが無いと生きて行けないくらい気に入っております。
Posted at 2022/10/23 21:16:53 | |
トラックバック(0) | 日記