車と同様で、ここ何年も新しい鞄を買っていません。
ビジネスバッグに関して言えば、好きな基準は総革製、マチと持ち手がしっかりしているもの、一目でそれと判別出来るブランドものは避ける等々が条件になります。
よく若い人に「ヴィトンとか買っちゃいましょうよ」とか言われますが、あのモノグラムの長財布を高校生~大学生まで愛用しておりました。何と嫌なガキだったと思いますが、それもまた今の自分を作る為の授業料と解釈しています。
で、大学在学中にそれを買取に出して日本橋の丸善で買ったのはポルトローナフラウ社製レザーの黒に赤のステッチの財布でした。この時に「ヴィトンは高く売れる」事を学んだ訳ですが、流石にチャラく見える事を嫌って本物志向に開眼しました。
今使っているものも10年以上前に横浜元町にあるキタムラで購入したものですが、その際に黒、茶、グリーン、紺のどれにするか迷った挙句に4色全部大人買いしてしまったので全く傷んでおらず、もう今後ビジネスバッグを購入する必要は無いかも知れません。私は気に入ったものは洋服でも同じものの色違いを纏めて買う傾向があるのですが、これは昭和の大御所中の大御所歌手だった越路吹雪さんがパリのエルメスで革の手袋をずらっと並べて「全部頂くわ」と言ったエピソードがものすごくカッコよく思えた事も関係していると思います。
で、今日ご紹介するものは…
ごく普通の革の鞄です。恐らく作られたのは40年以上前かと思われます。
ディディエ・ラマルトと読むようですが、フランス製です。
この鞄、何と中学時代の恩師が愛用していたもので、その恩師が52歳で亡くなられた際に恩師のお母様から戴いた鞄であります。
この方は中学校に入学した時に音楽の教科担任で、その時28歳の非常勤講師の方でした。最初の授業で開口一番「俺の授業はつまらないぞ」と言い放ち、その理由を聞くと「つまらない男がやってる授業だから」という強烈な答えが返って来ました。
しかしそんな人の授業がつまらないハズが無く、独自の視点での音楽史はものすごく新鮮でありました。例えば「ウィーンに行けばモーツァルトの住んでいたと言われる家は沢山あるけど、これは借金取りから逃げ回る為に家を転々としていたから」とか日本の子守歌のルーツは「家が貧乏で奉公に出された先で赤子を背負わされた恨み節」とか時に荒唐無稽な話に夢中になったものです。
ピアノの腕前は学校の先生レベルではなく、後に聞いたところでは本業としてピアニストだったそうで、相当な難曲をサラッと弾いてました。
が、生粋の音楽家特有というか社会性はあまり無かったようで、気分が乗らないと無断欠勤はおろか、昼休みに学校近くの馴染みの洋食店でスコッチを呑んでいたりと今なら大問題に成りかねない行動が多い方でありました。
容姿も教師のそれではなく、とにかく洒落者でアスコットタイや真っ赤なセーターを愛用し、今の私の服装のルーツはこの方だったと思っております。
そんな訳で僅か一年で非常勤講師を辞めてしまいましたが、風変りな教師は風変りな生徒が目に留まったようで、今思えば依怙贔屓だったと思いますが大変私を可愛がって下さいました。時折川崎大師にある自宅に招かれて自作の料理を御馳走してくれたり私のピアノのアドバイスをしてくれたのでした。
そんな我儘が祟ったのかその頃は既にバツイチでご両親と一緒に住んでおられましたが、そのご両親は自由奔放な息子さんとは正反対で正月には家族で和服だったりと当時13歳の少年には充分なカルチャーショックとなりました。
この鞄も中学校の頃から見覚えがあるもので、お母様から「あの子が大切にしていたものです。もし良かったら使って下さい。そしてあの子を思い出して」と戴いたのですが、今でも月に何回かはこの鞄を現役で愛用させて頂いております。
通勤には大して重いものは持ちませんが、良い鞄は持ち手がよく出来ていて手が疲れないものです。その点この鞄は実によく出来ています。
このお母様も現在は90歳を超えられました。先生が亡くなられた頃は相当に憔悴されていた様子ですが、今では「ちょっと藤沢まで合唱の会がありまして出掛けておりました」などとアクティブな様子も見られて少し安心かなと思っております。
その頃から実に40年の歳月が流れたことになります。感受性の強い思春期にこの方の影響を強く受けた事は間違いなく心から感謝しています。
ただ社会性という部分では一般の常識を持ち合わせていない方でしたので、その部分も反面教師であったと言えなくもありませんが…
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2024/02/17 20:49:37