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Koji GSⅡのブログ一覧

2015年09月20日 イイね!

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その4)

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その4) ちょっと時間が空きすぎてしまいましたが,三次試験場50周年マツダファンミーティングの歴代マツダ車の紹介を続けたいと思います。

まずは,ファミリアから始まる,マツダの大衆車の「譜系」を紹介します。



1964年式 ファミリア800デラックス(SSA)

当時,マツダの主力車種は三輪トラックでしたが,R360クーペを皮切りに,軽自動車や小型乗用車に主力を移行させつつありました。

まずは,軽自動車のキャロルと,ファミリアを開発しましたが,まだ小型自動車への参入は時期尚早と判断され,軽自動車のキャロルが先に発売されました,

ファミリアは,1963年10月にライトバンが発売され,翌年の1964年4月にはファミリアワゴンが発売。

乗用車ではなく,ライトバンやワゴンから発売がスタートしたのは市場調査の結果だったそうですが,ベルトーネデザインの流れを汲む,個性的で美しいイタリアンデザインと,キャロルの排気量アップ版の,総アルミ合金製水冷4気筒エンジンが搭載され,当時の他メーカーのライトバンと比較しても,「貨客兼用というよりも乗用に近い」と評されたそうです。

1964年10月に,待望の4ドアセダンの乗用モデルが追加発売されましたが,この個体は超初期型となります。

このクルマは,コスモスポーツやコスモAP等マツダ車も所有されている福岡のMさん所有なんですが,昔お父様が乗られていたとのことで,探し求めてようやく入手されたとのことです。

ちなみに,僕の父親もキャロル360デラックスから乗り換えたのが,ファミリア800の2ドアセダンでしたので,(当然生まれてなかったので記憶はない)親近感の湧く一台です。



1966年式 ファミリアクーペ1000(MPA)

こちらは,1965年11月にクーペボディにツインキャブで武装したPA型1000ccエンジン,前輪ディスクブレーキなどで武装した「ファミリアクーペ1000」が発売されました。

流麗なクーペボディを纏ったファミリアクーペは当時の若者のあこがれの的で,うちの父親も欲しかったそうですが,高価で買えなかったので,義理の弟が乗っていたファミリア800の2ドアセダンで我慢していたそうです。

このファミリアクーペ広島ナンバーなのですが,実は初めて見る個体でした。

広島のマツダ旧車乗りの方なら,割と知ってるはずですが,このファミリアクーペだけはオーナーさんが不明だったんですが,イベント終了間際のパレードに出る直前にオーナーさんが戻ってこられたので声を掛けようとして,顔を見てビックリ!

実はマツダ株式会社でモータースポーツ関係の仕事をされている方で,顔は知っていました(笑)



1967年式 ファミリア1000デラックス(SPA)

初代モデル末期に追加されたPA型1000ccエンジン搭載のモデルで,ヘッドライトが「角目」になっていますが,1967年11月に2代目ファミリアがデビューするまでの1年くらいしか発売されていなかった希少なモデルです。



広島 マツダ旧車クラブのO本さんのファミリアは,奥さんのお兄さんが新車で購入され,4年くらい乗ったものを譲りうけ,「広5」ナンバーを維持しておられます。

走行距離は既に24万キロですが,一度もオーバーホールしたことはないそうです。



1973年式 ファミリアプレストロータリーTSS(M10A)

1967年11月にファミリア 初のモデルチェンジで2代目に移行しました。

スタイリングは,初代と一転して丸みを帯びたデザインとなり,三角窓も廃止されました。

1968年6月には,コスモスポーツに続く,2台目のロータリーエンジン搭載車で,ロータリーエンジンの普及モデルとなった,ファミリアロータリークーペ(輸出名:マツダR100)が発売されました。

ロータリークーペのインパネは,戦闘機を彷彿させるT型のコクピットタイプでした。

1969年7月には4ドアセダンにロータリーエンジンを搭載した「ファミリアロータリーSS」が発売され,同年10月にはセダンにT型インパネを搭載した「ファミリアロータリーTSS」が追加されました。

1970年4月のマイナーチェンジで,「ファミリア・プレストシリーズ」となりましたが,現存している2代目ファミリアの大半は,ファミリア・プレストのロータリーエンジン搭載車が多く,前期モデルは殆ど現存していません。

1971年9月にグランドファミリアが追加されましたが,その後も1973年のモデルチェンジまで併売されました。

この個体は,最近三次市にUターンされたO井さんの所有車両ですが,1973年式のほぼ最終モデルにあたります。

O井さんは,伯父さんから譲り受けた「広島5」ナンバーのファミリアプレストロータリーSSも所有されていますが,元々このファミリアプレストロータリーTSSは部品取り車として購入したものの,程度が良かったので,レストアして乗られているそうです。



1975年式 グランドファミリアGFⅡ(SN3A)

僕の父親が,ファミリア800の次に乗ったのが同型のグランドファミリアGFⅡで,うちのはモンブランホワイト?でしたが,こちらはコンコルドシルバーで珍しい3速オートマチック車です。

広島 マツダ旧車クラブのH川さんが,新車ワンオーナーで乗られており,走行は27万キロです。

H川さんは,このグランドファミリア以外にクルマを所有されておらす,雨の日も風の日も,雪の日もこのクルマで出かけます。

ボディは純正色で2回ほど全塗装されておりピカピカで,エンジンもノンオーバーホールにも関わらず,とても静かで快調です。



1973年式 サバンナGSⅡ(S102A)

コスモスポーツ,ファミリア,ルーチェ,カペラに続く,マツダ第5弾のロータリーエンジン搭載車として,1971年9月より発売されたのがサバンナ。

サバンナと共通のボディにレシプロエンジンを搭載したグランドファミリアと言う姉妹車もありましたので,れっきとしたファミリアシリーズの一員と言っても良いでしょう。

発売当初のボディタイプは「セダン」と,ファミリアプレストロータリークーペの実質的後継車種となる「クーペ」が用意され,後にステーションワゴンの「スポーツワゴン」が追加されました。

以前,当ブログで取り上げましたが「ライトバン」も製作され,当時としては先進の「低公害車」として広島県などの官公庁に49台ほど納入されましたが,量産には至りませんでした。



ちなみに,こちらは当ガレージの1971年式サバンナGSⅡ(初期型)



展示されたのは,北九州市在住のAさんのお父様が,新車からワンオーナーで所有されている個体で,「北九州55」ナンバーが羨ましい!



実は,父が1973年式グランドファミリアGFⅡに2年乗った後乗り換えたのが,これと外観がほぼ同じマーガレットホワイトの1975年式サバンナAP SⅡでした。



純正オプションのマッドフラップやレースカバーも一緒で懐かしい!



前期型の顔も好きですが,中期型のアゴなし(チンスポイラーなし)の顔も好きですね!

さて,今回の歴代車両展示では,2代目ファミリアプレストから車幅が60mmほど拡幅された,3代目のファミリアプレスト(通称ワイドプレスト)や,約3年と言う短期間ながらも,89万台以上を販売するなど予想以上の成功を収めた4代目ファミリアAPの展示は残念ながらありませんでした・・・。



1982年式 ファミリア1500XG(BD1051)

当初,今回のイベントはサバンナでエントリーしていたんですが,イベント実行委員会のロードスタークラブオブジャパン(RCOJ)代表の水落さんと雑談している時に,ポロッっとファミリアを入手したことを話したところ,是非そちらでエントリーしてほしいとのことで,その時まだ実物さえ見ていなかったファミリアXGを急遽出展することになりました。

WebCG誌曰く「大ヒットして社会現象にまでなったのに,残存台数が極めて少ない赤いファミリア」と書くほどのクルマだそうで,当日参加した1047台のマツダ車のなかで,5代目BDファミリアはこの1台だけでした。

「初めて買った新車」「父親が乗っていた」「彼氏が乗っていた」等は言うに及ばず,マツダ関係者が多い会場内では,「開発にかかわっていた」「ミッションを組み立てていた」とか,マツダの金井会長はブレーキの開発にかかわっていたそうです。





売れたクルマだけに,皆さんの思い出に残っている確率も高く,展示場所が良かったこともあって,弊ファミリアXGの周りには,人が途切れることがなかったそうです。
(僕は殆どクルマのまわりにいることが出来ませんでしたので・・・)

かく言う我が家も,サバンナAP GSⅡの次に乗り換えたのは,1983年式ファミリアサルーンXGでしたので,BD系ファミリアには思い入れがあります。



ファミリアXGのリアトレイには,ネットオークションで入手したカタログや,友人にもらった「Mazda323」エンブレム,中島美樹夫先生のイラストも飾らせていただきましたが,広大なリアウィンドウがちょっとしたショーケースのようになっていました。



1987年式 エチュードGi(BFMP)

諸般の事情で,この角度からしか撮影が出来ないこのクルマ(笑)



多くは語るまい(笑)

元々友人であり先輩のT-eMさんの所有車両ですが,現在は弟さんの所有です。



型式名「BFMP」が示すように,6代目BFファミリアアベースのスペシャリティ・クーペです。

ファミリア3ドアハッチバックより全長が若干長く,全高も低いスタイリッシュなデザインで,エンジンも,その後ロードスターにも搭載された,B6型エンジン(1.6L DOHC 16バルブ)のみと差別化が図られていたものの,価格設定が高価なうえにファミリアの影に隠れて目立ちませんでした。

あるデータによると,総生産台数は約1万台だそうですが,数年前に調べたところ現存数は74台で,現在は50台を割り込んでいると思われる激レア車です。

なお,BF系ファミリアも,一般参加のラリーレプリカ車1台のみの参加だったようです。



1992年式 ファミリアGT-R(BG8Z)

当時ワークス参戦していた,WRC(世界ラリー選手権)での更なる戦闘力アップを図るべく,それまでのフルタイム4WDのGT-Xのエンジンを180馬力から210馬力にチューンナップした,エボリューションモデルがGT-Rとラリーベース車のGT-Aeでしたが,バブル崩壊に伴う経営悪化で,ワークス活動が「無期限撤退」となったため,ワークスチームでは活躍することが出来なかった悲運のモデルです。



我が家でもファミリアサルーンXGから1990年式ファミリアセダンインタープレイ(BG5P)に乗り換え,僕自身も1992年に1989年式ファミリア3ドアハッチバックインタープレイDOHC(BG5S)が最初の愛車として購入しましたので,歴代ファミリアのなかでも,もっとも思い入れがあるクルマと言っても過言ではありません。



1996年式 ユーノス プレッソ

7代目BG系ファミリアと車台を共用するスペシャリティ・クーペです。

形式はEC系ですが,エチュードの社内呼称は「EB」と呼ばれていたそうで,実質的な後継車は,このユーノス・プレッソ/オートザムAZ-3となります。

海外向けには「Mazda MX-3」として輸出され,ユーノス・プレッソには発売当初,K8-ZE型 V型6気筒エンジン(1.8L)のみのラインナップでしたが,1993年9月のマイナーチェンジの時にオートザムAZ-3に設定されていた,B5型1.5L 直4エンジンがユーノス・プレッソにも追加され,AZ-3にはV6エンジンが搭載されるようになりました。



1994年式 ファミリアNEO

8代目BHA系ファミリアの3ドアハッチバックには「NEO」(ネオ)というサブネームが付けられ,斬新なクーペルックなデザインでした。

海外では高い人気を博したようですが,日本国内では奇抜なデザインがまったくウケず,月販100台前後を彷徨うという非常事態に慌てたマツダは,1996年10月のマイナーチェンジ時にオーソドックスなスタイルの3ドアハッチバックに変更しました。

この頃のマツダ車全般に言えることですが,全車種で猛烈なコストダウンが図られ,改良されるたびに装備が省かれ,ファミリアはマイナーチェンジでハードプラスチックの信じられないようなチープな材質にインパネが変更され,とある高級車のアルミボンネットは重いスチール製に変更されるなど,さしずめ噛んだ後のチューインガムのような「カス」みたいなクルマに成り下がっており(実話),本気でマツダファンをやめようかと思ったのもこの時期でした。

※ファミリアNEOには罪はありません。(愚痴ってすみません)



2001年式 マツダスピードファミリア(BJ5P改)※後ろからの写真しかありません。

1998年6月に,9代目にしてファミリア最後のフルモデルチェンジが行われました。

このクルマは,セダンタイプのスポーティーバージョンとして,2001年5月に100台限定として発売された限定車ですが,109台が追加生産され,合計209台生産されたと言うのは一部では有名な話。

エンジンはSワゴンのスポルト20用のFS型エンジンを,戸田レーシングのハイカム,ハイコンプピストン,ポート研磨,ピストンのクリアランス最適化,ステンレス製エキゾーストマニホールド,専用低排圧サイレンサでチューンして搭載されていました。

「BJ5P改」と言う型式から判るように,1500ccのセダンに2000ccエンジンを載せた改造車と言う扱いになっているクルマで,「メーカーが型式認定を取らずに改造車を販売するのはけしからん」と発売後に当局からお叱りを受けたとか受けなかったとか。

ハイカムのせいでアイドリングが不安定と言うクレームが多発したため,希望者にはデチューンされた専用カムシャフトへの無償交換があったそうですが,変態車を扱う某中古車店で「カム無交換」と言うのをセールスポイントにしていたのを見て,思わず唸ってしまいました(笑)



1994年式 オートザム・レビュー(DB3PA)

マツダ製の初代DA系フォード・フェスティバ用の車台をベースに開発されたクルマで,1990年10月にマツダ5チャンネル化によって誕生した「オートザム店」待望の小型車でした。

同じくオートザム店扱いの2代目キャロルのイメージを踏襲した,丸みを帯びたスタイリングが特徴の「2.5ボックスセダン」ですが,女性ユーザーを狙いすぎたせいか,国内での販売はイマイチ。

当ガレージでも同型車を一時愛用していましたが,短い全長の中ににも大人4人がゆったりと乗れる車室空間と,意外に広いトランクルームを持つパッケージングに優れたセダンで,ボディも軽かったので軽快に走る良いクルマでした。

海外へは「Mazda 121」の名称で輸出されましたが,可愛らしいスタイルやパッケージングの良さなどが評価されて大人気となったようです。



このクルマには,レアな純正アルミホイールが付いてましたね。



1997年式 デミオGL-X(DW5W)

バブル期のマツダ5チャンネル化戦略の大失敗で,マツダ恒例の経営難に陥っていた1990年代後半に,危機的状況を立て直すための量販車種として,前出のオートザム・レビューの車台を元に,初代DWデミオが開発されました。

初代ワゴンRにも通じる,素っ気ないくらいの実直さや優れた実用性が功を奏し,直接的な競合車種のユーザーだけではなく,上級車や軽自動車からもユーザーが移行するなど,幅広い支持を得ることに成功しました。

マツダはこの初代DWデミオのヒットによって経営危機を危うく脱することができ,「マツダの救世主」とも言われます。

このスパークルグリーンのデミオGL-Xは,しいな丸 水産急行さんの愛車で,最上級グレードでありながらブラックバンパー仕様と言う,初期型にしかない組み合わせで,サンルーフやデュアルエアバック等のラインオプションがフルに装備され,しかも5速マニュアルミッションと言う奇跡の個体。



展示に備え,ステアリングやシート,マフラー等をノーマルに戻され,



さらに純正オプションのサイドストライプのレプリカ版を製作(本物も所有)して貼り付けてくると言う気合の入れようでした。

父親の最後の愛車となったのも1999年式の初代デミオGL-Xでしたので色々思い入れがあります。

なお,初代デミオも来年でデビュー20周年を迎えますが,前期型は殆ど見かけなくなりましたね。



2002年式 デミオSPORT(DY5W)

オプションカタログから抜けて出てきたようなスターリーブルーのDYデミオはRYOデミ蔵さんの愛車です。

弊ファミリアXGも,わずか納車15日後の展示でしたが,RYOデミ蔵さんの方は,前の愛車DYデミオがミッショントラブルで箱替えとなり,こちらはなんと納車5日目とのことでした(笑)

しかもノーマル状態はこの一瞬だったようで,本人曰く「2度と展示車にはなれない状態」なんだそうです。

さて,続いてはDE系,DJ系デミオのご紹介になりますが,時間の都合と,写真を撮っていないことから,割愛させていただきます。

長文のお付き合い,誠にありがとうございました
Posted at 2015/09/30 02:03:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | イベント関連(マツダ) | クルマ
2015年09月20日 イイね!

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その3)

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その3)三次試験場50周年マツダファンミーティングでは,ステージイベントの記念行事や車両の展示だけではなく,様々なイベントを用意されていました。

9/24地元テレビ局の報道映像追加



なかでも高速周回路の試乗体験では,早朝から長蛇の列が出来ていました。

僕は展示の準備を済ませてすぐに列に並びましたが,一緒に入場したはずの一般参加枠のデミオ仲間の皆さんは,クルマの方で談笑されているようですぐに来られなかったので,「申し込みが始まってるのですぐに来た方が良い!」と情報提供(笑)



相方に列に並んでもらている間に,テストコース内の見学バスツアーのチケットもゲットしました。



ステージ上では開会式が開催され,マツダ株式会社の役員さまの紹介や,来賓のご挨拶。



開会式の後,用意されたヘルメットを被り「高速周回路の試乗体験」へ



試乗車はアクセラXDが5台とアテンザXDが2台,CX-5が1台,合計8台のクルマで,4.3キロのコースを約2分弱で1周します。



僕が乗車したのは,3号車のアクセラXD(6MT)

安全のため,コース上のドア開閉は全てスタッフさんが行います。



スタートまでテストドライバーさんと談笑。

ちなみに,マツダの社内には試験走行のできる速度域ごとにライセンスが5段階あり,その上の特別ライセンスが3段階あって,今回テスト走行を担当されたのは,特別ライセンスの方と思われます。



8台の試乗車は,時間差で順次スタートを切って行きます。



さて,ここで三次試験場の高速周回路を上から見た写真ですが,ご覧のようにロータリーエンジンのローターのようにおむすび型になっています。

赤い矢印で指したあたりが,今回のスタート地点となります。



1速全開でスタートしたアクセラXDは,1コーナーあたりで既に130~140km/hに達します。



1コーナーの途中からバンクの最上段に上りますが,このあたりで160km/hくらい。



その後の直線の途中で183km/hの速度リミッターに達します。



2コーナーへの進入は,なんと手放し(笑)



このあたりが一番バンクの角度が厳しく,約45度だそうです。

下方向に「G」が掛かり,カメラが重く感じます。



3コーナーまでは,結構な上り勾配になっていますが,アクセラXDはトップスピードの183km/hを維持したまま平気で登っていき,しかも安定感は抜群で静粛性も高いので全く怖くありません。

この時,6速でエンジン回転数は3,500rpm付近だったと思います。



最終コーナーですが,前にかかっている橋は当然水平です(笑)



ここまで,所要時間は約1分40秒でした。

連続周回できないのが残念です。



お友達のYKOさんが,偶然同じ3号車 アクセラXDに試乗され,動画をUPされていましたので,是非ご覧ください。



用意された昼食(栗ごはんがおいしかった!)をいただいた後は,見学バスツアーへ・・・



こちらも,ボランティア社員の皆さんが,場内の説明をガイドしてくださいましたが,撮影禁止のため画像はありません。

世界各国の道路や悪路を再現したコースをはじめ,風洞施設などもあるそうです。

ちなみに,高速周回路では一番内側をバスが走りますが,バンクの一番上を走る試乗車はバスの車内から屋根しか見えません(笑)



その他,会場ではクルマ作りの技術展示等がありました。



NDロードスターのアルミフェンダーの軽さに驚いたり・・・。



衝突実験済みのマツダ6(アテンザ)を見学したり。



1体数千万円のダミー人形さんと記念撮影したり(総額数億円!)







耐久試験済のNDロードスターを分解したものを見学したり・・・



Be a Driver体験をしたり(笑)

※希望者にはマツダの作業服やヘルメット着用可能



創立100年に向けてレストア作業中のコスモスポーツ(マツダ110S)の展示を見たり・・・。



コスモスポーツの次はサバンナ,BDファミリアと順次レストア予定とのことです。

【動画追加】




TSSテレビ新広島の特集画像です。

~ つづく ~
Posted at 2015/09/23 22:13:39 | コメント(5) | トラックバック(0) | イベント関連(マツダ) | クルマ
2015年09月20日 イイね!

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その2)

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その2)三次試験場50周年マツダファンミーティングのメイン会場近くにに展示された歴代マツダ車を中心にご紹介したいと思います。

9/23動画を追加しました!



ちなみに歴代車の展示は全78台の予定でしたが・・・。



諸般の事情で2台ほど参加されませんでした。

なお,不参加の1台は馭者座の一等星さんのカペラロータリークーペGS(30万キロオーバー)と・・・。



もう1台は,現役当時から激レア車だった,オートザムクレフでした。

残念無念!

さて,まずは歴代のマツダ軽自動車から紹介していきます。



1964年式 マツダR360クーペ(KRBC)

1番枠は,いつもお世話になってるオークラオートサービス社長のR360クーペでした。
※うっ血ポーズの方はスルーしてください。



ボロボロの状態から仕上げた一台ですが,その1でもご紹介したように,このR360クーペは松永自動車教習所(現在のロイヤルドライビングスクール)で,身体障がい者の軽自動車免許取得用の教習車として導入されたクルマで,ミッショントルクドライブ(TORQDRIVE)と呼ばれる,軽自動車で初のトルクコンバーターを用いたオートマチック車です。



松永は現在広島ナンバーではありませんが,福山ナンバーが出来たのは昭和42年なので「8広」のシングルナンバーになっています。

ちなみにR360クーペは,車両価格が当時のスバル360より安い30万円で設定され,爆発的なヒット作となったクルマです。

開発リーダーは後にロータリーエンジンの実用化に成功し,「ミスター・ロータリー」として知られることになる山本健一さんでした。

可愛らしいエクステリアデザインは,マツダの三輪トラックのデザインを手がけた工業デザイナーの小杉二郎さんと,東洋工業社内デザイナーの手によりデザインされています。

乗車定員は4名ですが,後部座席は非常に狭く,子供でも嫌がるくらいの狭さですが,これは本格的な4座に拘らず軽量化を優先するために2+2と割り切ったそうです。

このクルマはとにかく軽量化対策が徹底されており,各部に当時としては最先端だったのアルミ合金やマグネシウム合金,プラスチックなどの軽量な素材を多く使われています。

ある意味,現在の「ゼロ作戦」にもつながる,マツダのDNAの元祖ともいえる車ですね。



1968年式 マツダK360(KTBA43)

よくダイハツのミゼットと間違われますが,これはマツダの軽三輪トラックです。

旧車マニアの間では「けさぶろう」の愛称で呼ばれます。

工業デザイナーの小杉次郎氏によるスタイリングと,おしゃれなツートーンカラーが特徴です。

2サイクルエンジンのミゼットと違い,空冷 4ストローク OHV V型2気筒エンジンなので,K360の方が静粛性は優れています。

余談ですが,姉妹車で600ccエンジン搭載の「T600」もあります。



1964年式 マツダキャロル360デラックス(KPDA)

初代キャロルは,1962年2月に製造が開始され,現在マツダで販売されている一連のマツダの車種としては最も古いブランドになります。(現在は浜松製のOEMですが)

当初は2ドアモデルのみの発売でしたが,1963年に軽自動車初の4ドアが発売されました。

マツダR360クーペは,4人乗りながら後部座席が狭いので実質2座席車でしたが,スバル360に対抗するため,本格的な?4人乗りモデルを発売しました。



後部座席のヘッドクリアランスを稼ぎ出すために,リアウインドウ部分を垂直に立てた「クリフカット」スタイルを採用しており,個性的で特徴的なデザインになっています。

エンジンは,排気量360ccながら,水冷4ストローク 直列4気筒 OHVの総アルミシリンダーエンジンで,5ベアリングのクランクシャフトや半球型燃焼室,クロスフロー配置の吸排気弁など,当時の小型乗用車と比較しても極めて高水準な設計でした。

これは,上級者のキャロル600やファミリア800とボアピッチを一緒にした共通設計で,開発コストを抑えるという狙いがあったようですが,排気量が2倍以上の800cc級にまで対応する設計なので,360ccエンジンとしては重いエンジンとなってしまいました。

フル・モノコック構造のボディは,安全性を重視し,部材剛性を高くする配慮が採られ、当時としてはかなり頑強でしたが,それだけに重量が嵩んでおり,R360クーペと比較すると150キロ近く重くなっており,走りは鈍重です。

これまた余談ですが,エンジンブロックが共通なので,キャロル600の600ccエンジンを搭載する人も多かったようで,オークラオートサービスの社長もやってたそうです(既に時効ですが)

とある友人も,キャロルを買ったら600ccエンジンが載ってたっていう珍事もありましたが,同様のことがK360トラックにもあり,T600のエンジンが載ってたって言う例も聞いたことがあります(笑)

このピカピカで新車のようなキャロルは知人の所有で,9年がかりでレストアされたようです。



1973年式 マツダポーターバン(KBAA)

1968年にマツダB360のフルモデルチェンジ版として登場しましたが,1973年のマイナーチェンジで,エンジンを4ストローク4気筒OHVから2ストローク2気筒エンジンに換装されました。

2気筒2ストロークエンジンは,当初空冷のCC型エンジンを水冷化したAA型エンジンですが,元々はブリヂストン製バイクのブリヂストンGTR350の2サイクル2気筒350ccエンジンの流れをくむエンジンで,軽商用車としては高性能なエンジンでした。

このポーターバンは,広島 マツダ旧車クラブの寅STAさんの愛車で,合わせホイールの初期モデルです。



1976年式 マツダシャンテGLⅡ(KMAA)

マツダは,R360クーペやキャロルで市場を席巻し,1960年代中期までは軽乗用車の有力メーカーでしたが,ホンダN360等の他社の高性能モデルの登場と,ロータリーエンジン搭載の乗用車に重点を置いた開発・販売戦略を採ったため,キャロルはモデルチェンジもせずに1970年で生産終了。



マツダの軽乗用車市場の巻き返しの切り札として登場する予定だったのは,キャロルロータリー

シングルローターのロータリーエンジンを搭載した軽自動車を企画されていたようですが,監督官庁や軽自動車業界からの反対に遭って頓挫した・・・と言う話です。(諸説あります)

実際にはシングルローターの振動対策などの技術的課題もあったと言う話もありますが,その後に登場したシャンテは,ポーターやポーターキャブ用に開発された2気筒2ストロークエンジンを搭載した形で登場しました。

ボディタイプは,キャロルと異なり2ドアのみでしたが,当時の軽乗用車最長であるホイールベース2,200mmで,競合他車に比べると室内は広く,足の長い長身の方でもゆったりと乗れるのが特徴。

このシャンテは,広島 マツダ旧車クラブのネコパンチさんの愛車で,オプションのクーラー付です。



1994年式 オートザム キャロル(AA6PA)

初代キャロルは1970年に生産終了されましたが,1989年にマツダが立ち上げた軽自動車中心のオートザムブランドの中心車種として車名が復活しました。

4代目以降は浜松製アルトの完全なOEM車となっていますが,この2代目と3代目はアルトとエンジンや,プラットフォームを共通としながらも,内外装はマツダ独自設計となっています。



同型のキャロルは,僕も相方も所有していましたが,可愛らしいデザインで今でも根強いファンがいらっしゃいますね。


あっ,AZ-1は写真を撮り忘れてました・・。



【動画追加】


R360クーペ,K360,キャロル360,ポーターバンの動画を発見しましたので貼り付けます。



~ つづく ~
Posted at 2015/09/23 09:03:41 | コメント(8) | トラックバック(1) | イベント関連(マツダ) | クルマ
2015年09月20日 イイね!

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その1)

三次試験場50周年マツダファンミーティング(その1)三次試験場50周年マツダファンミーティングに参加してきました。

当日は1,100台超のマツダ車,と約2,000人のマツダファンが集結したようです。



まずは三次市内に入る手前の某コンビニエンスストアで,デミオ仲間の皆さんと合流。



今回集合した車両の中で,僕のファミリアXGの他,しいな丸 水産急行さんの初代DWデミオGL-Xと,RYOデミ蔵さんの2代目DYデミオSPORTが「歴代展示車」として選ばれておりました。

集合場所から三次試験場までの道を,弊ファミリアXGが先導することになったのですが・・・。



三次市内に設けられた,ミーティング参加者の「折り返し地点」付近で,O井さんのファミリアプレストロータリーTSS(こちらも展示車)と遭遇!(車長撮影)

お互いクラクションを鳴らしながら挨拶し,そのまま三次試験場の正門へ。

すれ違うマツダ車には,窓を開けて手を振りまくり(笑)

ロードスターミーティングでは当たり前の光景ですが,マツダ車同士でこれをやりたかったんです。



マツダ株式会社のボランティアスタッフの皆さんに「おかえりなさい!」と声を掛けられ,正門をくぐったところで,今回のミーティング事務局代表のRCOJ水落代表登場。

今回,突貫作業でファミリアXGの出展準備をする羽目になったのはこの人のせいです(笑)



反対から見るとこんな感じ(笑)



一般参加の方と別れ,そのままデミオの展示車両2台を先導して,メイン会場付近に設けられた展示会場に向かいますが,ご当地名物の深い霧が立ち込めております^^;



展示会場に到着



展示位置は30番でした



展示車両は76台(2台欠席),ファミリアXGの位置は矢指したところで・・・。



当ガレージの旧車軍団の主治医である,オークラオートサービス社長のR360クーペ(展示番号1番)の後ろと言う,とても目立つ位置でした。(うっ血ポーズの方はスルーしてください)



ちなみに,このR360クーペは松永自動車学校(現在のロイヤルドライビングスクール)で,昭和39年に身体障がい者の軽自動車免許取得用の教習車として導入されたようで,発見時は画像のような状態でした。



正直言って,「粗大ゴミ」か「くず鉄」のような状態でした^^;



このうち比較的程度がマシだった後ろのR360クーペは・・・



佐川急便の関連会社(SGモータース)のレストア競技会のベース車となり・・・



程度が悪かった方は,オークラ社長が夜間・早朝の空いた時間にコツコツと仕上げました。



サマーセットブルーの綺麗なR360クーペが,あんなボロボロの状態だったことを知れば,2度びっくりされると思います。



ちなみに,ほぼ古い順に並べられた前2列に並んだ歴代車両30台のうち,K360トラック,ファミリア1000クーペ,カペラC2,SA22C,FD3S,RX-8以外の人は,すべて友人・知人でした(笑)

世の中は狭いですね!

K360トラックの人は色んなイベントで見かける有名人だし,広島 マツダ旧車クラブの初代ルーチェ1500SS(山5シングルナンバー)のMさんがこのイベントを紹介して参加することになったそうです。



折角なので,マツダファンの皆さんの良識を信じて,窓全開で展示しました。



弊ファミリアXGの方は,初お披露目のイベントにもかかわらず,とても良い場所に展示させていただいたせいもあって,大勢の方に見ていただきました。



リアトレイには,入手したばかりのカタログ類や,先日津山のM&Y記念館の展覧会で購入させてもらった,中島美樹夫先生のイラストも飾らせていただきました。

長くなりそうなので,イベントの詳細はまた別途・・・。
Posted at 2015/09/22 00:41:15 | コメント(9) | トラックバック(1) | イベント関連(マツダ) | クルマ
2015年09月19日 イイね!

いよいよ明日は「三次試験場50周年マツダファンミーティング」

いよいよ明日は「三次試験場50周年マツダファンミーティング」昨年の5月に非公式に開催計画を聞き,同年12月に公式サイトで開催が発表されましたが,早いものでもう9月・・・。

いよいよ明日は「三次試験場50周年マツダファンミーティング」です。

昨日は風呂も入らずに寝落ちしてしまったので,今日の昼過ぎに風呂に入ったんですが,日頃の疲れが出たせいか,そのまま寝てしまい,次に目が覚めたのは16時半(笑)

すっかり日が傾いたごろにガレージでゴソゴソと作業を開始しました。



弊ファミリアXGの樹脂製バンパーは,経年劣化で白っぽくなっています。



ワックス掛けをしてボディは比較的きれいなものの,やはり樹脂バンパーは黒くないとイマイチです。



取り出したるは,AUTOGLYM(オートグリム)のバンパー ブラック

英国王室御用達の高級品?ですが,以前ワゴンセールで購入したものを使いました。



使用前



使用後

なかなかの艶が出ましたよ^^

その他,未塗装のサイドモールやマッドガード,ストーンガード等にも塗布しましたが,素材色本来の色が蘇って来たので,クルマ全体が引き締まりました。



最後の仕上げがてら,行きつけのガソリンスタンドに行ったら,しいな丸 水産急行さんも来られてました。

初代DWデミオのトップグレードのGL-Xでありながら黒バンパーで,サンルーフ・デュアルエアバック付と言うメーカーフルオプション車で,しかも走りの5速と言う奇跡の個体です。

明日のイベントでは歴代車の展示車に選ばれ,シートやステアリング,マフラー等々,可能な限りノーマルに戻されていました。

明日の歴代マツダ車の展示は約80台だそうですが,オリジナルに近いクルマとなると,なかなかいないので,旧車の半分近くは僕の知り合いではないかと思います(笑)

明日はMAZDA 787Bのデモランもあるようですし,楽しみですね!
Posted at 2015/09/20 00:05:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | E-BD1051 ファミリアXG | クルマ

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子供の頃からのマツダ車好きが高じて,「zoom-zoom」なマツダ車と,東洋工業時代の古いマツダ車を所有しています。 プロフィールの写真は,「赤いファミリ...
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