今朝の最低気温は、
氷点下25℃ (・_・
12月のうちに
氷点下20℃を下回るのは異常じゃないかしら。
これは確かに
大寒波 かもしれない(0_0;
みな様、今日は流石にご注意ください。。。
さて、
ほとんど毎日雪が降っている。 1日中ではなくとも、日に数時間は降っている ( ̄_ ̄
年末年始に急ぐ用事は無い。
1週間分くらいの食料は確保できているから、出かける必然も無い。
何の気なく 外を眺めていたら、うる覚えな
"モノクローム・ヴィーナス" が頭の中でリフレイン。
静かすぎた毎日が騒ぎ出した突然の・・・・・♪
少ししか歌詞を思い出せないけど、雪とは一言も出てこないはずなのに。。。
雪が舞ってきた。
一応は いつもの周回路へ行こうかと、雪を下ろしておいたクルマ達が30分もせずにうっすら白。
今年は、最も乗る頻度が高かったのは3号機 ( NBロドスタ ) だった。
だけど、最も大切に思っているのは3号機ではない。
それどころか、最も雑に扱っているのが3号機。
1号機は宝物。 2号機は生活の足。 3号機は玩具。 それが偽りない歴代達の事実。
それなのに、この日も走らせようと思っていたのは3号機。
そんな事を思っていたら、風が混じってきて、雪の降りも激しくなってきた。
急激に ここまで激しく降るもんかいね?
もしかしたら茶の間から見える方角だけかなと、
別な部屋から外を見てみても、はらはら と絶え間なく雪が降り落ちてきていた。
今日は家で大人しくしていよう ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ と思っていたら、突然に晴れた。
雪が止むだけなら分るけど、急に晴れるかね (・_・
まぁいーや。 腑に落ちないものは感じるが、
やっぱり 3号機で出かけた。
晴れてさえいれば、雪道は はっきり くっきり。 走り易い (^_^v
毎日が こうなら暮しやすいんだけどな。
さてさて 話変わって、
今年も、年賀状を少しだけ出した。
前回の正月に受取った年賀状の中に、おない年の奴から
「
本年をもちまして年始のご挨拶状は遠慮させていただきたいと考えております 」
と印字されたものが有った。
・・・・きたいと考えております。 なんて中途半端な表現をする奴だっけ? と疑問は感じた。
・・・・きます。 が奴らしいんだけどな。。。
そんな疑問はさておき、
たしかにねぇ とも思った。
そもそもが、
まだ e-mail が普及する前に知り合った人達との縁を切りたくなくて続けてきたものであったり、近くに居れば不要だけど もう会えないかもしれないと思える遠く離れた人達へ続けてきたものであったり、そんな意味 ( 考え ) があって続けてきた年賀状だった。
だから、
受取った年賀状を見る限りでは、ほんの2~3枚を除けば 止めても支障は無い。
私もそろそろ ( 基本は ) 年賀状を止めにしようかなとも思った ・ ・ ・ ・ ・ その時は。
残念ながら、毎年10~11月に喪中の葉書が届く。
今年は、3枚も受け取ってしまった (-_-
その中の1枚を郵便受けに見つけた時、ちらっと見て 「 奥様が亡くなってしまったんだぁ 」 と思った。 ちゃんとお話しさせていただいた事は1回しかなかったけど、お優しい人だった・・・。
でも茶の間に戻って座って読んでみたら、私が年賀状をお送りしている本人だった。
少なからず
えっ(・_・ と驚いた。
随分と年上の方だけど、まだ早かろう・・・・・。
そして、
何故 知らせてくれなかったんだ と思ってしまった。
でも、あの方の近くにいて私に知らせてくれることが可能だったかもしれない人に、私は3年も会っていなかった。 それで知らせてくれと言うのは 虫がよすぎる よな・・・。
亡くなってしまわれた あの方に最後にお会いできたのは昨年。
メールを送ったら 「
明日から入院するんだ 」 との 想定外な返信がきて驚いた。
「
すぐに退院するから見舞いは不要 」 とのことだったので、しばらくは待った。
でも、1ヶ月くらいして 「
退院してくれていたなら、それはそれで良し 」 と思って病院へ行ってみたら、まだ入院されていた。
「
もの凄く珍しい奇病らしくて、医者が放してくれないんだ 」 と笑ってらした。
晩秋になってから 「
退院した。 しばらくは自宅で療養する 」 とのメールを頂いて
「
来春、雪が融けた頃にお邪魔します 」 と返した。
そして、届いた年賀状には 「
復帰しました 」 と記されていた。
一方で 流行病は、
1月には怪しくなり、2月に本気でヤバイと思える状況になり、3月には全国に知れ渡った。
雪は融けたけど、とてもお邪魔できる様な状況ではなくなってしまっていいたので
「
きっと夏には落ち着いているかと思いますので・・・・ 」 と電話させていただいた。
夏が過ぎ、秋になってしまい、でも流行病が終息する様子はなくって、また電話させていただかなきゃ駄目だなぁ と思っていたところに 喪中葉書が届いた。
既に 夏に亡くなられていた (;_;
喪中葉書を手にして思った。
年賀状を出していたから、ご遺族が 私へ喪中葉書を送ってくださった。
もしも年賀状を出していなかったら、私は今も知らずにいたかもしれない。
実際、
私も親が逝ってしまった後の諸々で、親の家に届いていた ( 発見することができた ) 過去数年分の葉書や年賀状から 喪中葉書の送付先を決めた。 他に選択する手段を思いつかなかった。
携帯電話には、相手の住所までは ( ほとんど ) 登録されていないもんね。
それに、まさか携帯電話のメールで喪中を送るわけにはいかないし、そもそも登録名を見たって どんな関係かは判らない。 飲み屋の姉ちゃんや 現役時代の取引先の担当殿に喪中を知らせても、相手が困るだけだろう。
そんな理由で、私は今年も少しだけ年賀状を出した。
年賀としては間違えているかもしれないけれど、電話でもメールでも代用できない理由として、自分は納得がいってしまった。 ただ、諸先輩方限定な理由ではある。。。
それにしても、
奥様のところへ、"線香をあげさせてください" と伺うことすら遠慮せざるおえない現状。
来年こそはと期待したい。
Posted at 2020/12/31 05:52:18 | |
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本当に独り言 | 日記